政治、宗教、イデオロギーの話とエスペラント(ankoraux ne tradukita)

政治、宗教、イデオロギーの話は人と人とを結びつけると同時に人と人とを対立させてしまうことがある。
特定の立場を標榜することで、その標榜者が非難されたり、嫌われたりすることがある。悲しいことだ。
人類の歴史は人命尊重を中心とする「人権」概念の確立と実現の歴史でもあるが、「人権」は永久的なものではなく、近代的なものである。
つまり、「人権」概念の実現は(概念それ自身もだが)歴史的かつまだまだ発展途上である。従って、それぞれの政治・宗教・イデオロギーによって人権が損なわれたり、人命が失われたことが20世紀以降でも、いくらでもある。
例えばアメリカを中心とした諸勢力はつい最近・今もイラクやアフガンで「平和」と「民主主義」(と「自由」)の名の下に爆弾を投下し、無辜の人々を蹂躙している。
イラクやアフガンの人たちが「平和主義」や「民主主義」を欺瞞的なものだとしてこれらを敵視し、自らの民族や宗教のみを頼みにしたとしても、十分に根拠のあることである。
だから、政治、宗教、イデオロギーの話は難しいし、こうした話題をエスペラントの会合では忌避すべきであるという意見はもっともなことである。


レルヌのチャットでも、共産主義者だという人と、ポーランド共産主義に痛い目に合ったか、「カチンの森事件」で親戚が殺害されたかしたと称する人とが言い争いをしていた。
まぁ、後者の人はピノチェトを称揚していたので、ちょっとホマラニスモには失格だと思われるが。共産主義者だって、敵対勢力の抹殺を正当化するならば、それは直ちにその反対者であるファシズムと等価となるだろう。


その論争にも何にもなってない、罵り合いを読ませてもらって、「あぁ、二人ともエスペラントで罵倒しあえるなんて、スゴイなぁ」と思ったと同時に、「良くないな」と思った。
双方とも自説は展開しないし、単に悪感情だけをぶつけ合って、悪印象だけを相互に残していたから。
まぁ、何か自分の嫌いな勢力(一般民から構成されている)を撲滅するのを目的にエスペラントを使用するとか、「撲滅対象」となりそうなスローガンをエスペラントで標榜してみる、とかはあまり嬉しいことはなさそうですね。