エスペラントの学校教育への導入
オバマ次期米大統領にエスペラントを学校に導入させようということで、盛り上がっているらしい。
参照:Introduce Esperanto as a foreign language subject in schools to help American kids succeed
Ben Rattray という市民運動家の米国人が作ったホームページで、オバマ大統領あてに10種類の政策を提案するそうです。
まず、オバマ氏に提案するというのだから、これはアメリカとしては国家的にエスペラントを任意なもの以上に位置づけさせようという意図があるのだろう。
掲示されている理由として、(誤訳御免!)
外国語教育と国家
アメリカにおける外国語教育
アメリカにおいて外国語教育がどのような位置づけになっているのか、知らない。つまりなぜアメリカで外国語教育をしているのか知らないのである。アメリカ人にどこの国の言葉がなぜ必要なのか。
一番必要なのはスペイン語だろうと想像する。だってアメリカ合衆国の隣接する南は皆スペイン語・ポルトガル語の国ばかりだし、移民だって中南米からの移民が多いんじゃないのかな。つまり、自国の中で英語以外の言語を母語にしている人たちが、最も多く使っている言語を学ぶべきではないだろうか。
それは国としての国民の治安や融和をすすめ、また非英語の国民の人権・市民権を守る上で言語の壁は低いほうがよいと思うからだ。アメリカ人同士が相互理解を深め、自分たちの生活をより民主的で豊かなものにするのに言葉が通じたほうが良いと思うからだ。
そのために、スペイン語は変化がややこしいから、エスペラントを英語とスペイン語との間に「かまそう」、というのならわかる。
しかし、上の提案はそういうものを排除はしないだろうが、意図としては違うような気がする。
アメリカにおける公教育
公教育とは何か。教育学者ではないので、「答え」は知らない。いくつか挙げてみよう。
- 消費主体として自立するための必要な知識やスキルを身につける
- 労働主体として自立するための必要な知識やスキルを身につける
- 公民として自立するための必要な知識やスキルを身につける
- 人類的文化主体として、次の世代へ文化(や自然)を発展的に受け・渡す
エスペラントはこれらの諸目標のうち、どれに最も大きく関わるのだろうか。
しかし、庶民の暮らしとは相対的に切り離され・すでに自律しているように見える・イデオロギーと権力の塊としての国家が「教育」を握るとき、とりあえず、教育とその成果としての諸個人は、「国家」目的にかなうものを良しとするであろう。
学校教育の影響で革命家やテロリストになってもらうと困る。どうせやるなら、CIAの言うことを聞いて、余所の国でそれはやってもらうような諸個人を育成しなければならない。
上の提案の最後の項目を見れば、なんだか内容が不明だが、「マルチリンガル」育成によって「国際競争」に「勝つ」ことが良しとされているらしい。
(直接にではないが)エスペラントで国際競争に勝とうというのである。
それにしても実業にエスペラントが使われるかというと、たぶんそうではなく、必要なのは民族語であろう。
国際競争に勝つマルチリンガルの人とエスペラントもできない人
エスペラントを外国語の結節点にマルチリンガルになったエリートはエスペラント語やエスペランチスト、エスペラント運動をどう思うのだろうか。
「なんだ、たしかにスペイン語やフランス語をやるのにエスペラントは便利だったけど、君たちはエスペラントしかしゃべれないのかい」「君たちはなんでエスペラントを勉強したり広めようとしたりしているんだ? 学校に導入させたら良いじゃないか」「ザメンホフはユダヤ人が国際競争に勝とうと思ったんじゃないか? それにしてもザメンホフはあれだけ語学力があったのなら、エスペラント運動とかじゃなくて、商売になる学習プログラムを開発して会社でも興したらよかったんじゃないのかな」
そう言ったりするんじゃなかろうか。
それで、学校に行けなかったとか、何らかの理由で「エスペラントもできなかった」青少年たちはどのように評価されるのだろうか。「エスペラント以下な奴等」などとレッテルされるのだろうか。
外国人がアメリカの大統領にエスペラントを提案すること
僕にはまずそれがわからん。オバマ氏自身が自らエスペラントを勉強することを提案するのなら面白い。オバマさん、あなたもエスペラントを学びましょうと。
そうではなく、「あんたの国の学校であんたらの子どもらに学ばせろ」、というのをなぜ他国の人が言うのかな。
エスペラントを広めたいがために他国の政治や政治家を利用していいのかな?
アジア諸国の言葉を学ぶのにエスペラントはあまり役に立たないと思うのだけど、アジアの人たちもエスペラントをオバマ氏を使ってアメリカの子どもたちに勧めるのかな。
しかも、それは「相互理解」とか「平和友好」とかではなく「アメリカが国際競争で有利になる」ためだと書いてあるのに?
日本における外国語教育
「身内」に英語教師がいるけれど、外国語教育について話をしたことはない。
中学校
第1 目標
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122602/010.htm
外国語を通じて,言語や文化に対する理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,聞くことや話すことなどの実践的コミュニケーション能力の基礎を養う。
引用が長いので、短くしました。リンク先を見てみてください。
英会話学校のようです。しかも、なんとかしゃべったり聞いたりしようという「態度」でOK。
まあ、英語の授業で外国の「言語」についての「不可解」は深まりましたが、「文化」理解が深まったと思ったことは一度もないね。絶対に。
高等学校
第1款 目標
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122603/009.htm
外国語を通じて,言語や文化に対する理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,情報や相手の意向などを理解したり自分の考えなどを表現したりする実践的コミュニケーション能力を養う。
まあ、中学校も高校も、英語がペラペラな人を育成したいらしい。その育成の過程において、教材については「国際理解」「国際協調」「多様性」などが注意されなければならないが、何故英語ペラペーラな人が必要なのか、指導要領では触れられていないようである。
何のための・どのくらいの英語か
検索してひっかかったもの。
小泉 今英語が重要になってきた……
http://www.eigokyoikunews.com/eigokyoiku/essay/200505/index.shtml
吉田 われわれ自身が国際社会に貢献していくためには、なんらかの形で(英語が)必要なことだと思います。
大津 英語が現代社会において果たしている役割を考えると、英語が操れる日本人を育成しなきゃいけないということが重要な社会的問題というところは、私も全く賛成です。
大津 英語子育てもいいですか?
吉田 それは無理。極端なことでなく自然とバイリンガル環境が整えばいいのでは?
大津 そういうのであれば結構ですが、ほとんどの子は日本語のモノリンガルで育ってくる。なぜ英語が選ばれたかを子どもたちにちゃんと説明できなければだめだと思いますね。子どもたちがどんなに英語をやりたいと思っても、あるいは親が学ばせたいと思っても、それにそのまま乗っかるというのは、公教育の発想ではないのでは?
――教科化はありそうですか…。
小泉 数年後の教科化もありえます。……3月の外国語専門部会では小学校英語を重視する含みを残しました。(2005年)4月には教科調査官の増員もありました。世の中の期待に呼応しています。
大津 世の中の期待とは?
小泉 国民の声でしょう、そして財界・政界の声ですね。
小泉 各学校でどのぐらいのレベルまでやるべきかという問題があります。高等学校の英語は英検準2級程度と戦略構想に書かれていますが、……それぞれの人について自分なりの英語の到達目標があっていいはずで、学習者が自分のニーズに合わせて選んでいくというのが最終的には理想だと思います。
吉田 もうひとつは、英語の何ができるようになりたいか。自由に外国人と話せるようになるには、よほど力がある人でないとそこまでいかない。……だからニーズによってもある程度変わってくると思います。
大津 大学の一般外国語では、英語が使える力をつけてほしいと学生たちも思っているし、……。昔は専門の分野の文献を読むということがあったわけですね。専門教育にかかわっている先生が1・2年の間にこのぐらいの英語力はつけてほしいというふうに要請してきて、英語を教える人たちもそれに応えるようにしてやっていくというのが筋だと思いますが。
2005年のこの対談では、よくわからない。国際貢献のためか?
まあ、英語はカネになるし、勉強するのに英語の論文が読めるに越したことはない。日本語で読むべき論文もたくさんあるだろうけど。