言語障壁による対立を解消するエスペラント
ザメンホフがポーランドのビアウィストクにいた頃は、ポーランド、ドイツ、ロシア、ユダヤの各民族が混住していて言語障壁によるいざこざ、乱闘は日常茶飯であった。そこでザメンホフはこうした混乱を「世界語」によって克服できると考えてエスペラントを考案した。
http://d.hatena.ne.jp/shiro-kurage/20090915/p1
とエスペラントの源について僕は認識しているのであるが、そしてそのような紹介は一般的でもある。
たとえば、土居智江子氏『希望する人』では……
ルドビーコは こどものころの ビャウィストクでの できごとを、いまもよく おぼえていました。ことばが わかりあえないために、いつも けんかばかりおきていた あの小さな町のことを。(中略)「よし、自分で どこの国のことばでもない、やさしい、おぼえやすい ことばを つくってみよう。」ルドビーコは 決心(けっしん)しました。
http://www.jei.or.jp/ponto/zamenhof/esperanto3.htm#nehelpate
民族間のにくしみ、あらそいをのりこえ、世界の人類が手を取り合って暮せたら、 ―― その一つの手段として、ザメンホフはエスペラントを創ったのでした。
http://www.jei.or.jp/ponto/zamenhof/esperanto3.htm#patrino
またウイキペディア
彼は憎しみや偏見の主な原因が、民族的・言語的な基盤の異なる人々の間で中立的なコミュニケーションの道具として働くべき共通の言語がないことから起こる相互の不理解にあると考えた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%95
lernu!
民族間の争いが多くありました。それで彼は様々な言葉を話す人達の間の架け橋となるような新しい言葉を作りたいと思うようになりました。
http://ja.lernu.net/enkonduko/pri_esperanto/espoj.php#zamenhof
さらに、『エスペラント国の旅』の「エスペラントはどのように誕生したか」(ザメンホフ)も同じようなことを書いている。
ポグロムを阻止するユダヤ人の連絡網ツールとしてのエスペラント?
以前、関東連盟の機関誌 ponteto 236号の電子版(PDF)の「ザメンホフと差別」(小林司氏)を紹介した。氏によれば、上のような動機は間違いだという。
「それだけでは不十分」というのではなく、「内容は間違っている」というのだから、お話はどのようになっていくのだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/shiro-kurage/20090915/p1
こうしてみると、小林氏によればネット上のエスペラント・ザメンホフの情報は間違いだらけということになっているようだ。
さて、そしてこのたび、こんどはワードのドキュメント形式で「ザメンホフと差別」の続きが発表された。それによると、
http://members.jcom.home.ne.jp/verda/kantorenmei.htm
国際共通語を作って、世界各地から来たユダヤ人の意思の疎通をはかり、ポグロムを阻止させる、がそれである。言うまでもなく、ザメンホフが選んだ道は国際共通語であった。
とのことであって、国際語考案の目標はポグロム*1阻止、直接の目的はユダヤ人同士の意思疎通、ということである。こちらの方が「間違っていない内容」ということのようである。
僕は史家ではないので、それでも良いし、後にはザメンホフは世界的・人類的に争いごとをなくすことにエスペラントが役立つだろうというようなことを言っているようなので、当初の動機の説明としてそれが「内容は間違ってい」たとしても何も問題はないのだが。
問題ないのだが、本当に小林氏の言うように、ザメンホフにおけるエスペラントの起源を「ポグロム阻止のための多国籍なユダヤ人の意思疎通」ということに限定する(というのは一般的な動機を「間違い」とされておられるから)のが事実の説明として正確なのだろうか。
残念ながらここまでの号では小林氏はそのことを裏付ける直接の史料は提示しておられず、時代背景・状況証拠のみなのである。
仮に、小林氏の説が正しいとするなら、ザメンホフ研究の線からすると、「いつ・なぜ」ザメンホフはそのようなユダヤ人に限定された共通語のコンセプトを全人類的なそれにまで転換させたのか、なぜそれまではユダヤ人に限定されていたのか、興味のあるところである。
言い換えると、はじめはユダヤ人のみの共通語を作ろうと考えていたのが、どうして全人類を対象にした共通語というコンセプトに変わったのか、なぜ共通語をユダヤ人に限定して、他の民族(それはどちらかといえば被抑圧的な立場であったであろうロマもポーランド人も、そしてもちろんユダヤ人を虐殺する人たちを有する民族をも含む)のことは排除したのだろうか。それとも「排除」ではなく、単に眼中になかったのだろうか。
小林氏の意図・もしくは認識はどのような?
もうひとつ興味があるのは、小林氏が、後のザメンホフの人類主義的な立場を(エスペラント考案動機としては)「内容は間違っている」として排除する指摘をしなければならないと考えた理由である。
ポグロムのことを重視すべきであるとのことであれば、人類主義的な動機は「不十分である」とか「後の思想である」という指摘が普通であって、「間違っている」と否定するほどのこともないように思うのだが。
続きに期待したい。
*1:ポグロムについてはこの日記でも触れたことがある。もちろん国際共通語誕生に当たって、ポグロム体験を無視できないどころか、非常に重大な動機であるであろうということは僕も同意する。http://d.hatena.ne.jp/shiro-kurage/20090819/p1