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本書は1991年の発行だから、もうはるかに古い本だと言えよう。記事の中ではまだソ連崩壊前である(出版時点では崩壊後)。
Wikipedia にはトルコについて以下のようにある。
1830年のギリシャ独立以降、…1922年に紛争の抜本的解決を目的に締結された住民交換協定では、トルコ国内に住む正教会信者のトルコ語話者は「ギリシャ人」、逆にギリシャ国内に住むイスラム教徒のギリシャ語話者は「トルコ人」と規定され、それぞれの宗教が多数派を形成する国々への出国を余儀なくされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3#.E5.9B.BD.E6.B0.91
こうした経緯もあり、長年国内の民族構成に関する正確な調査が実施されず、トルコ政府は、国内に居住するトルコ国民を一体として取り扱い、国民はすべてトルコ語を母語とする均質な「トルコ人」であるという建前を取っていた。これが新生トルコを国際的に認知したローザンヌ条約におけるトルコ人の定義であると同時にその時に、トルコにおける少数民族とは非イスラム教のギリシャ人、アルメニア人、ユダヤ人の三民族であることを定義した。しかしながら、実際には共和国成立以前から東部を中心にクルド人をはじめ多くの少数民族が居住する現状を否定することができず、現在では、民族的にトルコ人ではない、あるいはトルコ語を母語としない国民も国内に一定割合存在することを認めてはいるものの、それらが少数民族とは認知していない。
少数派の民族としては、クルド人、アラブ人、ラズ人、ギリシャ人、アルメニア人、ヘムシン人、ザザ人、ガガウズ人などが共和国成立以前から東部を中心に居住している。特に、クルド人はトルコ共和国内でトルコ人に次ぐ多数派を構成しており、その数は1,400〜1,950万人と言われている。かつてトルコ政府はトルコ国内にクルド人は存在しないとの立場から、クルド語での放送・出版を禁止する一方、「山岳トルコ人」なる呼称を用いるなど、差別的に扱っていた。
(Wikipediaには、最近の事情についても触れているが)
本書はまさにこうした言語少数派、少数民族についての否定的な事象、したがって人権・市民的自由について否定的な体験や、ソ連・少数民族・少数言語・非イスラムに対する偏狭なイデオロギー体験について記されている。簡単に言うと、トルコ人=トルコ語であって、クルド語などの言語は公式には存在せず、トルコ語以外の言語をしゃべるものはトルコ人ではない、つまり少数言語はほとんど禁止状態である。しゃべられている非トルコ語はすべて方言のようなもの、もしくは反国家的な犯罪的なものとされている。そこで、隠れて非トルコ語を使う集団、民族的自覚なしに非トルコ語を(トルコ語の方言として)使う集団、トルコ語を話すが実はトルコとは違う民族、などのバリエーションがある。
本書の中ではトルコ語話者は非トルコ語話者、非回教徒を無視・蔑視している(それらの人々に関する情報なしに)場合が多いようである。
したがって、今日のトルコにおけるエスペラント運動が、非組織的・散発的なものであったとしても、EU諸国に対してだけではなく自国内における「言語権」の確立(それは必ずしも政治的な独立や自治区の設立を伴わなければならないわけではない)を目標にしているかどうか、興味のあるところである。エスペランチストの問題意識や人権感覚ということよりも、「言語権」を主張するという、そんなことが主体的に可能な情報を持っておられるか、あるいは文化的・政治的・軍事的条件がそれを許すかどうか。ネット上でもそのような話題についてのオープンな会話が安全かどうかなど。
のんきな観光地、うまい料理、一か月以内に忘れ去られる地震の被害、地図を見てもシワシワなだけの内陸の奥地に国境に関係なく暗雲のようにくすぶるクルド人、というようなトルコのイメージは全く得られないどころか「一掃」されてしまうだろう。
正直、読んで悲しくなってしまうくらいである。
最近待望の続編が出たとのことなので、上の本以降、どうなったのか(書いてあるかどうかわからないが)興味津々である。