朝比賀昇「日本エスペラント学会50年のあゆみ(5)」(La Revuo Orienta 1970. 6)の中で、1938年の大石理事長の「現時局とエスペランチスト」という巻頭記事において「今や我等は非常の時局に立つ。…皇国の大理想たる東洋平和、八紘一宇の精神に基づき、以て将来ますますその事業に邁進」などと書いた。具体的には、文化団体として日本の文化を海外に広め、日本について「正しく」認識させること、偏見をなくすこと(「支那事変」は日本は悪くないこと、日本軍の行動の正当化)を活動の目標内容としている。
朝比賀によれば、これは準備・強要された「JEI転向声明」に抗してできあがったもので、
JEIも戦争協力体制をとらざるを得なかったが、わたしたちは大石の声明文に最大限の抵抗を読み取ることができる。小坂のように報國同盟に1銭も出さなかった人たち、富山エスペラント会のように「嵐に向かって吠えることをやめ」、消極的姿勢をとって何もしなかった人たちがあったことを忘れてはならない。
という。
私には何が「抵抗」になっているのか、さっぱりわからず「迎合」の間違いではないかとすら思えるが、準備されていた「転向声明」文はよほどひどかったのであろうか。
なお、かどやひでのり氏は大石は「報国同盟と同様の声明をだすにいたった」とし、さらに「大石は報国同盟への寄付名簿にもその名を連ねている」としている。(なお、同寄付名簿には由比忠之進の名前も見える。)
断片的な抵抗として、朝比賀は次のようなものを挙げて「アッパレ」だったと評している。
大東亜共栄圏内の共通語を日本語にせよとの体制派の要求に対して、また「日本語をアジアの共通語にするのは正しくない」などと言えばたちまち非国民・逮捕・拷問・懲役という時代にあって、