「八紘一宇」精神下のエスペラント

これがひどい。
La Revuo Orienta 1940年10月号 財団法人日本エスペラント学会「IELを離脱」と、三宅史平「新体制への出発---IEL離脱の意義」より。

IELを離脱

この離脱は、国際的孤立主義を意味するものでなく、IELはじめ、各国のエスペラント団体との友誼的関係は、不都合のおきないかぎり、つづくであろう。ただそれらの友誼的関係は、どこまでも自主的な立場においてなされ、それの根本精神は、「八紘一宇」の国民的理想にあらなければならない。
この意味において、外国にたいしては、日本文化の宣揚をはじめ、なさるべきしごとはすくなくない。…

新体制への出発


従来の民族自決主義的国際協調主義は、もはや過去の夢として、消え失せてしまった。…新体制の日本にあっては、国内のあらゆる機関は、支那事変の処理と、さらにすすんで、新しい東亜文化圏の確立とに協力しなければならない。…日本エスペランティストの活動も、つねに、支那事変の処理と、東亜新文化の建設への協力をめざして、なされてきたのである。
…ここに、あたらしい体制がうまれようとし、すでに、それの目指す方向が、国防国家建設にあることを、あきらかにせられたうえは、われわれは、ここに、国際協調主義の形式を捨てるに、なんの、未練もない。それの精神は、すでに、すでにふるく捨てられている! そして、それは、われわれにとって、すでに方便でしかなかったのである。
…あたらしい体制のもとにおけるエスペラント運動の意義について考えたい。…
 日本的立場における、エスペラント運動の最終的目的---それが、八紘一宇的世界観による、恒久的世界秩序建設の言語的手段として役立つこと。…
東亜文化圏内の国際語は、当然、日本語をもって、あてられるべきであろう。
 要するに、この東亜国家群以外にたいする「国際語」をエスペラントにすることである。

朝比賀は「かつての朝鮮や台湾におけるように、日本語によるコトバの侵略を行おうとする。…当時の状況下で生き延びるためには、こう書く必要があったかもしれないが、いかに戦争に非協力的であっても、これでは身体を売らずに魂を売ったようなものである。」と嘆いている。