戦争・人権擁護とエスペラント、エスペラント団体

ロシアでは、ヒューマン・ライツ・ウォッチアムネスティ・インターナショナルなどがロシアで「登録抹消」となり、
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022040900538&g=int

ウクライナ侵攻に反対する国民を「裏切者」と糾弾する動きが強まっている、という。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022031900354&g=int

国外では、ロシアのウクライナ侵攻を支持したロシアエスペランティスト同盟会長について、ポーランドにあるアダムミツキェヴィチ大学の国際語学講座は、受講者として認めず除籍処分にした。
https://www.liberafolio.org/2022/04/11/likvido-de-ukrainio-ne-bonvenas-en-pollando/

エスペラント自体は無色透明の道具であるとしても、そんな鼻水のようなものであっても、分泌しているのは生きている人間である。
しかも、エスペラントはただに便利だから創出されたのではなく、平和への渇望から生み出されたものである。


権力からの弾圧も怖い、組織の分裂も怖い、組織の維持を自己目的としてひたすら中立の呪文を唱え続けても、組織自体が自由な人間の結合であるのだから、真空世界に組織を移設できるはずがない。
https://esperanto.hatenablog.jp/entry/2020/08/16/172324
https://esperanto.hatenablog.jp/entry/2020/09/06/214929
https://esperanto.hatenablog.jp/entry/2020/08/29/182205


いったい何のためのエスペラントか、エスペラント団体か

プロレタリアエスペラント運動におけるエスペラントは被抑圧階級・被抑圧民族間の連帯と情報交換、階級支配や帝国主義支配の現実を暴露し、階級闘争や民族解放のたたかいを鼓舞する文化芸術作品の創出の実践的なツールとして位置づけられていたものと考えられる。

https://esperanto.hatenablog.jp/entry/2020/08/29/182205

エスペラントを平和と人権擁護のツールに

21世紀も残念ながら尚、戦争と軍拡・テロルの世紀である。
エスペラントは無色透明なツールではなく、人と人や文化間の交流(そのこと自体が人間的で楽しいこと)のツールであると同時に、それゆえに平和と人権とを守る運動のツールとして自らを位置づけても良いのではなかろうか。平和や人権については、国際的に国連憲章、人権規約などで共通の地盤ができていると思う。

文化団体として

譲って、「脱イデオロギー」にしがみつくとしても、文化の破壊に対しては、エスペラント団体は文化団体として文化の擁護のために、何かをなすべきだと思う。少なくとも「中立」の棒杭にしがみついて目をふさぐことはいやだ。