ザメンホフはエスペラントをなぜ、どういうものとして考案したのか 4 ユートピア的「内在思想」、博愛主義の限界

小林司の『ザメンホフ』にもあるように、ザメンホフは「エスペラントが内在思想を有している」という考えから「エスペラントの普及運動は民族間の友愛と正義の実現を目指す考え=内在思想によって担われる」というような考え(気づき)に徐々に変化して行くように見える。それにしても、第三回大会での演説は苦しい内容になっている。


第三回大会でのザメンホフの演説より

英語話者ですらエスペラントを使う。エスペラントは単なる国際共通語ではない!

 私たちの大会が偉大な英国の栄光の大学都市で開催されることには、大きな意義があります。 La fakto, ke ni kongresas nun en glora universitata urbo de Granda Britujo, havas grandan signifon.
私たちの思想に反対する人々は、英語を話す人々がエスペラントに加担するはずはないと、しじゅう繰り返し言ってきました。La kontrauxuloj de nia ideo konstante ripetadis al ni, ke la Angle parolantaj popoloj neniam al ni aligxos,
英国人はその他の国民に比べて国際語を最も必要としないし、cxar ne sole ili malpli ol cxiuj aliaj popoloj sentas la bezonon de lingvo internacia,
なによりも国際語を目指している英語にとって世界で競争相手となる国際語が有力になると、自分たちに直接不利益をもたらすと思ったからです。sed por ili la fortikigxado de lingvo internacia estas rekte malutila, cxar tia lingvo konkurados en la mondo antaux cxio kun la lingvo Angla, kiu celas farigxi internacia.
しかし、見てごらんなさい。反対者たちがどんなに大きな誤りを犯したかを!Kaj tamen rigardu, kiel forte eraris niaj kontrauxuloj!
外国語など学びたがらない英国人が、大挙してエスペラントに加わっているではありませんか。Rigardu, kiel multope jam aligxis al ni la Britoj, kiuj tiel nevolonte lernas aliajn lingvojn krom sia nacia;
ごらんなさい。英国の同志たちがどんなに心をこめて大会の準備をしたかを、私たちを歓迎するためにどんなに大勢でやって来たかを!rigardu, kun kia amo ili preparis nian kongreson kaj en kia granda nombro ili aperis, por deziri al ni bonvenon!
この事実は、何にもまして、国際語が弱小民族だけでなく有力民族にとっても役に立つと人々が分かりはじめたことを示しています。Tio cxi montras antaux cxio, ke la homoj komencis jam kompreni, ke lingvo internacia estas utila ne solo por popoloj malfortaj, sed ankaux por popoloj fortaj;
しかし、この事実の意義は、もっと重大です。つまり、エスペラント運動は単なる利己的便宜の問題ではなく、民族間の正義と同胞愛という重要な思想であって、sed tio cxi montras ankoraux alian aferon, multe pli gravan: ke la homoj vidas en la Esperantismo ne sole aferon de egoisma oportuneco, sed gravan ideon de intergenta justeco kaj frateco,
その思想のために、出身民族の強弱にかかわりなく、民族間の正義の実現が自分たちに損か得かなど考慮せずに、あらゆる民族の気高い人々が奉仕を希望しているのです。kaj al tiu cxi ideo volas servi la noblaj homoj de cxiuj popoloj, tute egale, cxu iliaj popoloj estas fortaj aux malfortaj, kaj cxu la intergenta justeco estas por ili profita aux malprofita.
英国の同志たちの大部分はエスペラント運動の内在思想に導かれて私たちの仲間に入ったのですから、私たちはいっそうよろこんで、心から感謝するしだいです。Ni scias, ke la plimulton de niaj Britaj samideanoj alkondukis al ni la interna ideo de la Esperantismo, kaj ni tiom pli gxoje esprimas al niaj Britaj amikoj nian koran dankon.
今日この日、ケンブリッジの人たちは金儲けとなる商売人ではなく、自分たちも理解し愛する全人類的思想の使途と思って、私たちを迎えてくださいました。La Kembrigxanoj akceptas nin hodiaux ne kiel komercistojn, kiuj alportas al ili profiton, sed kiel apostolojn de ideo homara, kiun ili komprenas kaj sxatas;

エスペラント普及は全人類的な意義がある

…私たちがエスペラント運動の示威運動や宣伝を行なっているのは、個人的に利益になるからではなく、エスペラント運動が全人類に重大な意義を持ち、その人類共通の目的がエスペラントの活動家たちをエスペラントにひきつけるからです。Ni faras manifestacion kaj propagandon por la Esperantismo ne pro ia utilo, kiun cxiu el ni persone povas havi de gxi, sed pro tiu gravega signifo, kiun la Esperantismo havas por la tuta homaro, pro tiu komunehoma celo, kiu nin, aktivajn Esperantistojn, altiris al Esperanto;

民族間の平等を求める「内在思想」は義務じゃないけれど

 世間の人たちは、エスペラント運動はある種の内在思想と結びついているといつも言っています。 Cxar la mondo cxiam komprenis, ke la Esperantismo estas forte ligita kun certa interna ideo,
そういう思想の加担者と見られたくないことを唯一の理由にして、エスペラントの学習や使用を望まない人たちがたくさんいます。kaj tre multaj personoj ne volis lerni kaj uzi Esperanton nur tial, cxar ili ne volis esti rigardataj kiel partianoj de ia ideo,
そのため、多くの人々が私たちを敬遠しないようにと、『ブローニュ宣言』では次のような趣旨を明確にしなければなりませんでした。tial --- por ne fortimigi de ni grandajn amasojn, --- ni estis devigitaj klarigi per la Bulonja deklaracio, ke la simpla Esperantisteco,
しかし、単にエスペラントを学習し使用している普通の実際的エスペランチストにはその思想までも支持する義務は無いとしても、Sed se la simpla praktika Esperantisteco, t.e. la simpla lernado kaj uzado de Esperanto, neniun devigas aligxi al ia ideo,
エスペラントのために戦っている人々の少なくとも大多数は共通の思想に結ばれ、それが活動の刺激となっていることも事実です。tamen neniu povas dubi, ke cxiujn, aux almenaux la grandegan plimulton de la personoj, kiuj batalas por Esperanto, ligas unu komuna ideo, kiu estas la tuta stimulo de ilia laborado.

「中立」のために政治と宗教の話題は避けましょう。不愉快になる人がいるから⋯残念

 私たちの大会は中立であると、よく言われます。 Vi ofte auxdis pri la neuxtraleco de niaj kongresoj.
そのとおり、中立は大会の主要原則です。Jes, neuxtraleco estas la cxefa principo de niaj kongresoj;
しかし、この中立ということの意味を正しく理解しなければなりません。sed oni devas gxuste kompreni la sencon de tiu cxi neuxtraleco.
しかし、私たちの大会では、主要原則となっています。中立とは言い換えれば民族間関係の偏向をなくすことで、それがつまり私たちの仕事の全内容、全目的となっているのです。cxe ni gxi estas la cxefa principo, cxe ni la neuxtraleco, aux pli gxuste la neuxtraligo de la intergentai rilatoj estas la tuta enhavo, la tuta celo de niaj laboroj.
したがって、大会では、外交官の任務である政治色の強い事柄や、教会関係者や哲学者の仕事である宗教色の強い事柄を、けっして話題にしてはなりません。Tial ni neniam devas paroli en niaj kongresoj pri aferoj speciale politikaj, kiuj apartenas al la diplomatoj, aux pri aferoj speciale religiaj, kiuj apartenas al la ekleziuloj kaj filozofoj, ---
緑星旗は、特定の民族や宗教団体に不愉快を与えることはいっさい禁止しているからです。--- cxar la verda standardo malpermesas al ni fari ion, kio povus ofendi tiun aux alian genton aux religian grupon;
いっぽう、誰にも不愉快を与えない事柄は、すべて民族間の平和の架け橋を築きます。sed cxio, kio neniun ofendante, povas krei pacan ponton inter la popoloj,
民族間関係の偏向が政治的事柄でないはずはなく、この「中立」には無理がある。

それでもエスペラントエスペラント大会を信じる

これまで、単なる更新や気晴らしや金儲けを期待して、エスペラント運動に加わってきた人たちがたくさんいます。Multaj personoj aligxas al la esperantismo pro simpla scivoleco, pro sporto, aux eble ecx pro atendata profito;
しかし、そういう人たちでも、いったんエスペラント国を訪れた瞬間から、本来の意図に反してエスペラント国の法律にますます引き寄せられ、服従するようになるのです。sed de la momento, kiam ili faras la unuan viziton en Esperantujo, ili malgraux sia propra volo cxiam pli kaj pli entirigxas kaj submetigxas al la legxoj de tiu lando.
エスペラント国は、徐々に未来の人類同胞愛の教育の場となるでしょう。Iom post iom Esperantujo farigxos edukejo de la estonta interfratigita homaro,
まさにその点に、大会の最大のメリットがあるのです。kaj en tio cxi konsistos la plej gravaj meritoj de niaj kongresoj.

「内在思想」を実現するために⋯エスペラントをなんのために使うのかは自由だけれど

ザメンホフがわざわざ、特定の民族語ではなく・誰にでも学習しやすく・理解されやすい人工言語を共通語として考え出した、それは民族間の争いをなくし平和と正義を実現するためだという意図は、ブーローニュ宣言に待つまでもなく、出来上がった言語エスペラントに含まれてはいない。簡単でどこの民族語でもないという相対的な言語の特徴があるだけである。
なので、「民族間の…」を実現するためには何語・何言語であれ、そのことを意図しなければならないのだが、そのツールとしてエスペラントは結構うまく使える時代があった、ということになるだろう。戦争や民族差別を正当化することにエスペラントを使うのは、創案者の意図に反しているということは言えるだろう。

問われるのはエスペラント使用者の現代的「教養」

いつものように平凡ではあるが、大事な結論にしか至らない。
ある科学技術の成果が、いかに人々の暮らしの困難や命を救うために生み出されたものであっても、兵器に転用されることがあるように(もちろん逆もある)、言語が人間の共同性・社会性によって生み出され保存されてきたにもかかわらず、呪詛や罵倒や支配、詐欺や隠蔽に使われるように、問われなければならないのは使用者の倫理性である。
科学技術も言語も何もかも人間活動を離れて抽象的な真空中に実在することはできないのだから、かつてはそれらの「階級性」が問われた。


国籍は日本でも、日本で生まれ育っても、誰もが始めは非日本語話者である。そうして苦労して日本語を習得して、もっぱら差別と分断、攻撃のために日本語を用い、そうして言葉で身を立てている者がたくさんいるように、また法律ですら自分勝手に解釈したり無視したりして私服を肥やしたりする者がいるように、現代的な「教養」や社会性が問われるし、現代的な「教養」というものが、単なる「善意」だけでは全く不十分であることは自明である。


それと、世界中のすべての事柄に反応すべきとは言わないが、せっかく国際共通語エスペラントなのだから、ウクライナ侵攻には声を上げるがパレスチナ・ジェノサイドには一言も発しないという、ダブルスタンダードなみっともなく恥ずかしいことは避けるようにしたいものだ。
ザメンホフの話を知って、エスペラントを選んで使っている人は、ザメンホフがどういうつもりでエスペラントをどういうものとして作ったのか、エスペラント博士というペンネームを使ったことや、人々がその言語を「エスペラント」と呼んだことを忘れないでいてもらいたいと私は思う。