ザメンホフと労働者階級

Eble por neniu en la mondo nia demokrata lingvo havas tian gravecon, kiel por la laboristoj, kaj mi esperas, ke ploi aŭ malpli frue la laboristaro estos la plej forta apogo de nia afero. La laboristoj ne sole spertos la utilon de Esperanto, sed ili ankaŭ pli ol aliaj sentos la esencon kaj ideon de la esperantismo.

L.-L. Zamenhof, inciatinto de Esperanto
el letero al "Der Arbeiter Esperantist" (1910)

el https://www.sat-amikaro.org/IMG/pdf/Zamenhof-laborist-E-1.pdf



Mi skribas sube per nur la japana lingvo, sed la ligitaj retaj artikoloj k aferoj estas en Esperanto.

一時期はソ連の後押しもあって、国際的な労働運動がエスペラントを利用したことは知られている。1920年頃から30年代始めまで無産文化運動にエスペラント名の頭文字を使ったり、『プロレタリアエスペラント講座』(1930年)が刊行されるなど、日本の労働運動・階級的文化運動の中でエスペラントは流行したようである。
しかし、ザメンホフ自身が労働運動に何か言及したようなことがあったかどうか、知らなかった。あればきっとソ連や共産党の中国が自慢したりしたであろうから、少し探せば出てくるはずだと思った。


Javier Alcalde 「エスペラント運動の歴史における政治的諸相」(2018)を読んでいると、次のように書いてあった。

1909年の開催された第5回世界エスペラント大会に際して、ザメンホフは地元バルセロナの労働者たちに語りかけた。エスペラントの将来は労働者の運動(la laborista movado 労働運動のことか、あるいは労働者の(エスペラント)運動の意味か)に結びついていると思う、と。後に、二つの世界大戦は愛国主義に直面した階級的団結の努力や、エスペラントのような人類の友愛を目指すユートピア的運動に激しい打撃を与えたことを見れば、ザメンホフは正しかったように思える。この時期の全体主義がエスペラントを揶揄どころか物理的に迫害したことを見ればなおさらである。

https://shs.hal.science/hal-02801074v1


本当かよ? 
出典が F. Polbet 『第5回世界エスペラント大会 1909年 バルセロナ』(2008年)だというので、その中を探してみると、次のようにあった(118ページ)。

大会の反響と評価


 大会に参加したフランスのエスペランティスト、アーネスト・アーチディーコンは次のようにいて重要な視点を示してくれている。「カタルーニャの人々が私を驚かせたことは、かれらがやすやすとエスペラントを話していたことだ。バルセロナの、単なるの労働者たちにそのことを確認できる。彼らは本当のエスペランティストで、大会に参加する時間もなく、2フランの参加費を払う金もない。だがバルセロナの労働者たちの中にはエスペランティストがうじゃうじゃいるのだ」。
 労働者階級がエスペラントの普及の大きな柱であり、今後もそうであろうことを、ザメンホフ博士自身も決して忘れてはいなかった。大会の翌年、博士はドイツの雑誌「Der Arbeiter Esperantist」(労働者エスペランティスト誌)で次のように宣言している。

おそらく、私たちの民主的な言語が労働者たちほど重要な人々は世界中どこにもいないでしょう。そして私は、遅かれ早かれ労働者階級が私たちの大義の最も強力な支持者となることを願っています。労働者たちはエスペラントの有用性を体験するだけでなく、他の人々よりもエスペラントの本質と理念を感じることになるでしょう。

https://www.sat-amikaro.org/IMG/pdf/Zamenhof-laborist-E-1.pdf
https://www.esperanto.cat/el-congres-universal-desperanto-de-1909-a-barcelona-la-universala-kongreso-de-esperanto-de-1909-en-barcelono-2/

「語りかけた」部分は見つけることはできなかった。
しかし引用の最後の部分はSATのサイトのPDFのようだから、このことはSATでは知られていたことなのだろう。