堺利彦「エスペラント語の話」1905年

直言 2(7);1905・3・19
出版者:直行社
出版年月日:1905-03

エスペラント語の話
△世界の交通が日にまし頻繁になるにつれて、各国言語の相違により来る不便と不愉快とが愈々切実に感ぜられて来た。外国語を知らぬ者の不自由、外国語を学ぶ者の苦痛、いづれにしても殆んど堪へがたき事実である。そこで世界中の人類が若し悉く同一言語を用ひる様になったらば、如何に便利で、如何に愉快であらうかとは、多くの人の真鍮のあこがれとなって来た。即ち世界語(若しくは万国語)の思想が起って来た。
△1668年、ヰルキンス僧正というが始めて欧羅巴で万国通用語(phylosophical Language)の事を説いた。其後も色々之に関する提案があったけれど一ツも成功しなかった。然るに19世紀末になって、言語学研究進歩の結果として、1879年、ヨハン、マルチン、シュレイェル氏の世界語(Volapük)の発明となった。
△シュレイェル氏の世界語ヴォラピュックは、既に万国大会を開くまでに及んだが、其の余りに変化が多すぎて実習に困難なので、終に十分の発達を見る事が出来なんだ。
△然るに1889年に至り、西班牙のエスペラント氏が此ヴォラピュックに改良を加へ、1894年に至り波蘭ワルソーのツアメノフ氏(Dr. L. Zamenhof)が更に之を大成して世に発表した。是より世界語エスペラントEsperanto)(La Lingvo Internat世界語ia〔ママ〕)が有名になった。それで学会本部をワルソーに置き、ツアメノフ氏が会長となり、欧米諸国に支部を置き、数種の新聞雑誌を発行し、又種々の反訳をなして居る。英国では昨年十月エスペラント協会を設け、久しく印度に滞在して広く諸国語を研究したボーレン中佐が会長となり、倫敦で『エスペランチスト』と題する専門雑誌を発行して居る。何しろエスペラントの近年の発達は非常な勢ひである。
△世界語の第一要素は習ひやすいに在る。そこでエスペラントは主として欧洲諸国語の語根(ルート)を為せるラチンに拠り、成るべく現在の語に近いのを取り、発音を明白にし、語尾変化を正確にして居る。既に今日でも学術上の名称には各国ともラチン語を用ゐて居るのだから、それを商業上や交際上用ゐられぬ筈は無いと云ふのが、エスペラントの主張である。
△扨〔さて〕エスペラントの組み立てを聞くに、アルファベットはラチンのを用ゐ、其中で g と、y とを除き、新たに五字を加へてある。其五字は、e、j、g 等に符号を付けたものである。語尾の変化は、名詞は皆 o で終り、形容詞は皆 a で終り、動詞の現在は as、過去は is、未来は os、インフィニチブは i で終ると云ふ風である
例へば左の如し。
I ... Mi.
My ... Mia.
To love ... Ami.
I love ... Mi amas.
He will love ... Li amos.
単語の例は Birdo (鳥)、Patro(父)、Homo(人)、Sano(健康)等の如し
エスペラントの語根はラチン語、露語、英語等の中より集めたるもの約一千にして、恰かも欧洲諸国語を縮写した様なものと云はれて居る。欧洲人は約二ヶ月にして之を学習し得ると云ふ。
△日本で此エスペラントの事に注意して居る者は、東京大学黒板勝美氏と長崎に居る仏蘭西の宣教師某と外に一二人しか無いとの事。
△仏国の社会党が此エスペラントを世界語と認め、其戦士に学習を奨励するの決議をしたと云ふ前号所載の事実に因み、吾人は黒板氏の談話に依って此記事を作ったが、日本においても、斯くの如き世界的、万国的なる貴重の事業が多くの人士に依って研究せられん事を切望する。(枯川生記)

https://dl.ndl.go.jp/pid/1514158/1/3