歴史的順番にはこだわらずに書いている。
先に、西東なほみちが「国語批判」のためにエスペラントを学ぶべきだと書いたことを紹介したが、これには一時期のマルクス主義的あるいは唯物論的言語観が背景にある。そしてローマ字運動(の少なくとも一部の人々)もこれに関係しているらしい。
「プロレタリア、エスペラント運動について 予防拘禁制度に就て (社会問題資料叢書 ; 第1輯) 」は検事にして「思想特別研究員」である竹内次郎の1939年の報告署であるが、プロレタリアリア・エスペラント運動のついでに「(プロレタリアエスペラント運動と)ローマ字運動との関係」と題して、これに言及している。
それによると、マルクス主義による歴史観はだいたい次のようになっている(上記の正確な引用ではない)。
- 原始共同体---身振り言語・方言(地域的・閉鎖的)
- 封建社会⋯方言
- 階級社会---民族語・「国語」(民族諸国国家の資本主義的な発展に奉仕する)
- 社会主義時代⋯民族語と国際語
- (共産主義的)世界共同体---(単一の)世界語
エスペラントは最終段階の共産主義社会の前段階である社会主義社会における脱民族的な段階の萌芽でありうる。
日本における国語のローマ字化は、その(エスペラントや世界語化の)条件づくりとなる。すなわち、マルクス主義的な歴史観の実現に奉仕するものである。
封建社会には方言が、資本主義社会には国語(域内で統一された民族語)がふさわしい。かくして、日本語も明治維新を機に統一・整備され、日本語は貴族・武士階級の言語からまがりなりにも資本に奉仕する「標準語」として普及された。商人の言葉と農民の言葉の職業身分的な差異も小さくなった。しかしそれは半封建的ブルジョア民族語の限界を越えることは出来ていない。資本主義の原則は自由・平等・友愛であるが、日本資本主義は半封建的軍事的な性格を有しており、社会は資本主義の原則を実現していない。
日本語の封建制を特質付ける重要なるモメントは漢語であり又其の漢語が依存して蔓る所以のものはカナ混じり漢字の現制文字組織であります。
此の文字組織こそ教育を通して封建的方言を標準語に統一し国民に押し広める上に偉大なる役割を果たしたのでありますが、此の文字の大半が漢字であると云ふ事実は現制日本語を封建的に歪曲して前時代的な漢語を蔓るに至らしめた主要なモメントでありますから、国語運動は何よりも先づ国事改良運動即ちカナ文字運動、ローマ字運動の形態を採らねばならぬのであります。
小学校課程に漢字を習わせるのをやめ、カナ又はローマ字にすれば、その課程は半分か三分の一になるであろう。欧米に比しての日本大衆の文化的立ち遅れの原因は(カナ混じり)漢字の文字組織にあるのだから、国字改良は決定的である。さらにカナモジかローマ字かどちらがプロレタリアートにふさわしいかといえば、その平易さや国際性においてローマ字を採るべきであることは明白である。
見てきたように、カナモジ・ローマ字運動はエスペラント運動に、エスペラント運動は社会主義・共産主義運動に奉仕するものであるから、危険であることは明白である。
ローマ字導入の主張はエスペラント以前から
神村和美「「転向」の時代のプロレタリア・エスペラント --- 生き抜くための抗い --- 」城西大学語学教育センター研究年報 第15号(2023年)によれば、
川副佳一郎の『日本ローマ字史』(1922 岡村書店)によると,日本の国字としてのローマ字採用の主張は江戸期(寛永の時代)から見られたが,徳川幕府に抑圧され運動の機能を断たれていた。しかし,明治維新を経た日本が近代国家として歩み始めると,知識を広く世界に求めることが賞賛され,国字改良論,ローマ字採用の説が堰を切るように勢いづいたという。そして,エスペラントが日本上陸する4年前の1884(明治一七)年には本格的なローマ字運動が発生,さらに1905(明治三八)年には「ローマ字ひろめ会」による機関誌『ローマ字』の刊行が開始されることとなるのである。
https://libir.josai.ac.jp/il/user_contents/02/G0000284repository/pdf/JOS-18801919-1502.pdf
ここでは触れないが、当該論文の続く記述にも注目したい。