日本のプロレタリアエスペラント運動において、エスペラントは何であるか。
プロレタリアにエスペラントを普及させるべき理由
労働者の教養程度にふさわしく、国際的な階級闘争に実用的
十分な教育を受けていない労働者であっても
- 学びやすい
- 使いやすい実用的外国語として
- 漢字を使わなくても一定の情報にアクセスできる
などの点で、
- 労働者の文化程度や理論程度を向上させうる
- 国際的な階級的連帯や団結を進展させることができる
ので、優れている。
マルクス主義の教義やソ連の権威に沿っている
ソ同盟は、人類初めての労働者による労働者のための労働者の国であり、何が何でもこれを防衛し、地球上のあらゆる場所で社会主義革命を起こして労働者階級の解放、ひいては人類の解放を達成しなければならない、という共通の認識の信念の上にモノゴトを考えねばならない。
そこでエスペラントは階級闘争のより発展して労働者達の文化程度も高い欧米外国、とりわけソ連においてエスペラント使用のお墨付き・権威付けがある。
またどれだけ共通認識であるかわからないが、社会の発展に応じて上部構造っぽい言語もその形態を変化させていくのであり、世界共通語はその唯物史観の教義にかなうものである。
プロレタリアエスペラント運動におけるザメンホフ、内在思想
日本のプロレタリアエスペラントに関する書籍でザメンホフやホマラニスモはどのうよに扱われ・位置づけられているのだろうか。
先回りして述べておくと、ザメンホフは天才的にいいところまで認識を進めたが、社会問題の階級性、それが階級闘争によっていのみ解決されることに気づかなかった点で、全く不十分である。平和を希求する声を上げながら、その戦争の階級性・帝国主義性を覆い隠すことにエスペラントは利用されもしている。
先に、秋田雨雀も同じようなことを述べていることを紹介した。
さしあたり『プロレタリアエスペラント講座 第一巻』を見てみると、次のようにある。
言語は変化するものであり、それは社会の必要に応じて変化するものであり、それを変化する力は、社会を組織する人間の力であるが、このことを意識した個人によって主唱され得る、という考えに人類は到達した。⋯この主唱者はザメンホフという人であった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1178160/
ザメンホフはクラカウの演説で「エスペラントは社会問題である」と言っている。又彼は「⋯私は民衆が人間の最も本質的な自由のために闘っている国から来ました。…今、各民衆が最も残虐に殺戮し合っている現在、エスペランチストの任務は益々重要であります…」と言っている。
だが、ここまで気が付いたザメンホフも、未だ十分社会問題とは如何なるものか、エスペランチストが働かなければならぬ任務とは具体的には何かということについて、考えがはっきりしていなかった。彼の眼には社会問題としては民族問題が映っていた。そして彼は民族問題は本質的問題ではないということ迄は気がついた。しかし…社会問題の本質は階級闘争であるということには気づかないで死んでしまった。
…本当の正しい意味のエスペランチストに成るためには、世のためにそしてこれらの階級のために身命を抛つ人にならなければなりません。…始めは単なる平和への希望であった、ポーランドの少年ザメンホフの夢の実現はこういう社会運動の血なまぐさい闘争と結びついて進まなければならなくなっています。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1178160/
かくて、(エスペラントの)万国大会は、やっぱり、平和を夢見る人たちの(大会)と、血なまぐさい闘争をする人々の(大会)と二つ開かれるようになっているのです。
今では、エスペラントは只、単なる平和を好むものが自己の野心を押しかくす為のゴマカシのヴェールではなくなました。社会生活の深い土台に根ざした運動となりつつあります。戦争を実際に準備する者達に対して、実際に身命を堵して戦うための全世界の抑圧された者共の国際的団結の武器となって行きます。