共通して欠けているもの---二つの称揚:日本による人種的差別撤廃提案(1919年)と新渡戸稲造のエスペラント提案(1921)年

年表

  • 日清戦争 1894-1895
  • 日露戦争 1904-1905
  • 韓国併合 1910
    • 韓国も日本の植民地となった
  • 人種的差別撤廃提案 1919年
  • 新渡戸稲造らが国際連盟でのエスペラント採用の提案 1921年
    • フランスの反対で実現しなかった。
  • 1996年新渡戸シンポジウムがプラハで開催された
  • 「参政党ドリル」2024年青林堂
    • 侵略行為ではなかった、日本軍は人道的だった
  • 参政党候補者 演説? 2025年7月
    • 歴史を学び直したら日本は、「人種差別を止めよう」と世界で初めて言った国で、アジアの国々はそんな日本を尊敬してくれていて、アジアの独立に日本の兵隊さんも協力して、今も、その頃を知っているおじいさんやおばあさんが「日本人だ」というだけで会いたがってくれて「尊敬している」と言ってくれて「ありがとう」と言ってくれる。それを子供の頃に、子供たちに教えてあげましょう。

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何が欠けているのか

人種差別撤廃条項もエスペラントも現在の民主主義的な価値と同じ部分だけを取り出して現在の民主主義的な価値と比べれば、同一であるか極めて似ているに決まっている。
過去のさまざまなことどもは、なんでも自由に切り取って取り扱う抽象的なことが言語的に可能であって、さまざまな人が自由に都合の良いことや悪いことを切り取っている。
だが、それらのことは時間軸と空間軸(人間関係や利害関係)の中に位置づけて理解されなければならない。
日本が1919年に人種差別に反対したからと言って、アジア諸国の中で自国を含めた民族平等や諸国家の平等を主張したわけではなく、朝鮮や中国は日本の支配下にあるべきであるという態度を取り続けた。
新渡戸稲造エスペラントに感動して、国際連盟に作業語としての採用を提案したからと言って、新渡戸が民主的な人士であったわけではなく、自らの朝鮮民族に対する蔑視や優越意識を恥じたわけでもない。
でもそういうことを気にしない人たちは、平気でシンポジウムに新渡戸と冠して朝鮮の一部の人たちから激しく批判されるし、人種差別撤廃を主張した日本というのを誇りに思ったりしてしまうのである。


何が欠けているのでしょうか?