Revuo Orienta 誌における盲人エスペラント運動の登場

ありがたいことにJEIは Revuo Orienta のアーカイブを有していて検索もできる。
他のことを調べていて、「盲人エスペラント大会」のおそらく第一回について掲載されていたので、引用して紹介する。
なお、盲人エスペラント協会の設立は、1928年である。(「視覚障害者のエスペラント運動(日本)より」参照) また、下記は「盲人」で検索した結果の一部であって、もっと遡及できるかどうかの調査は実施していない。引用部以降の盲人エスペランチストに関する記事も私は読んでいない。旧漢字・旧仮名遣いは現行のもので表示。ブログのタイトルを後で変更した。




■ Revuo Orienta 1920年1月号

ESP. KAJ BLINDULOJ

 La cxefkomitato de nacia Instituto por Blinduloj, Londono, unuanime dedicxis monsumon lauxbezone gxis 250 f. st. cxiujare al la subtenado de "Esperanta Ligilo" (Esp.revuo en Bllailo), eldonata de S-ro Thilander en Stockholm. Esperantistoj-blinduloj do jam cxesis aparteni al "suferanta klaso"!

盲人とエスペラント

 英国ロンドン訓盲院の理事会はストックホルムのThilander氏発行の『エスペランタ、リギーロ』誌(エスペラント点字雑誌)補助として必要に応じ毎年2500円迄下附することにした。エスペランチストの盲人はもう所謂『哀れなる人々』ではなくなったわけだ。[註] f.St.=funto sterlinga 英国の金。凡そ10円。Brailo は盲人用点字の発明者 Braile。殆ど『点字』の代名詞になっている。


■ Revuo Orienta 1922年5月号

エスペラントが対訳で掲載されているが略。

全国盲人文化大会 エスペラント採用に関し決議をなす

 本年3月27日及28日の両日に亘りて有名なる大阪毎日新聞社後援の下に大阪市中央公会堂に於て開催せられたる『全国盲人文化大会』には、日本全国の盲学校並に盲人団体80有余の代表者200余名、其の他総人員3000余名の人々が参会したのであった。
 60有余件の決議が行われたが、その決議事項中に有名なる盲人エスペランチスト鳥井〔ママ〕篤治郎氏は『盲人の間に国際語エスペラント語の普及を促進せしめること』と云う提案を出した。余り大会は満場一致で此の提案をば採択したのであった。
 鳥井篤治郎氏は説いて曰く『同じ様な境遇にある全世界の、色んな国々の盲人たちは既にエスペラント語によって結合されて居る。昨1921年より万国エスペラント大会の会期中に盲人のための文化大会を催していること、及び全世界中の盲人たちを連絡一致せしめる『エスペランタ、リギーロ』の如き立派な盲人用の機関雑誌を吾人は既に有して居る』と。
 …


■ Revuo Orienta 1923年10月号

エスペラントが対訳で掲載されているが略。

第十一回日本エスペラント大会(岡山市に於て)

第二日
三)分科会 岡山県図書館に於て午前九時より開催
ア)教育分科会
イ)医学分科会
ウ)盲人エスペラント大会


■ Revuo Orienta 1923年11月号

総会記録

盲人分科会
…出席者熊谷、鳥井、葛山、岸本、寺門、野[嶋?]、大賀氏其他。…
A. 日本エスペラント盲人協会設立の件。今日の出席者のみに之を決定するは専横の怨みありとの説出で、結局準備的事業に関し協議す、…
G. 回覧雑誌。当分現在発行せる『覚醒』にエス欄を設くることに決定。