民主主義と権力者

選挙開票を受け、太田氏が高市氏に、消費税減税が出来なかったらどう責任を取るのかと問うたところ、高市氏は「これから頑張ると言っているのに、質問の意地が悪い」と言ってまともに回答しなかった。




これに関して大津氏は、質問の正当性を確認しつつ、「問いの中身ではなく、質問者の姿勢や人格に寄せた返し方をすると、論点がずれ、周囲に「叩いていい相手だ」という犬笛が鳴りやすくなります。それが積み重なると、次に不正や問題を見つけても、「言うと損をする」「黙っていた方が安全だ」という空気が、社会全体に広がっていきます。」「権力を持つ側は自らの立場と影響力を自覚し、質問者を個人攻撃しない対応を取らなければなりません。権力や影響力は、使い方を誤れば暴力になり得る。」と高市氏を批判した。


さらに大津氏は「台湾有事に関しても、あえて踏み込んだ発言をすれば、中国側も対抗的に立場を表明せざるを得なくなります。発言のコストを引き受けるのは高市さん本人ではなく、企業や労働者、国民全体です。」「外交は国内向けのアピールではありません。」「解散権は、内閣に与えられた極めて強い権限です*1。強い権限行使には明確な合理性と説明責任が伴います。」「(解散という)の判断は、政局上の損得ではなく、国民の利益とのバランスが取れていたのか。高市総理は、「国民全体にとって何が最善か」という判断基準を、どこに置いているのか。」と当然の指摘を重ねた。

(ことばを少し付け足して、文章として正確にした)
自己演出と責任とは違う、権限行使には合理性と責任説明が必要、外交は国内向けのアピールではないという指摘は高市氏の言動を見ていると、もっともで、私も本当にそう言いたい。

長い経済停滞、安定しない雇用と物価、将来不安など、新自由主義経済の矛盾の中で、有権者が中長期的・制度的視野を失ってしまい、高齢者や外国人を感情的に叩いて、高齢者や外国人を処遇することを税金の無駄遣いとして合理化している。
高齢者や病人に社会の富が再分配されることを「みらい」にとって不合理だと切り捨て宣言することに人権の普遍性も顧みず喝采してしまう。有権者の感情・即時性・承認欲求が政治判断を左右しており、政治家がそれを動員・利用している。利用されて有権者は「自分が主役になった」と感じてしまうのだろうか。
こうして制度的民主主義が空洞化していっていると思う。
感情を刺激する仕組みが高度化して、有権者もそれに過剰に適応している。マスコミも制度もそのことを放置しているようだ。
なので大津氏のように、感情的反応を冷却して整理して、民主主義や権力のあり方を問い直すような態度が必要だと思う。

https://x.com/Blanka_Meduzo/status/2021592260744196487

*1:異説あり