放射能の危険度(再掲) / La skalo de la dangxereco de la radioaktiveco (nur japanlingve)

過去記事のコメントに、自称文科系の人のための放射能の話を紹介していただきましたので、感謝して再掲します。どうもありがとうございます。
リンク先中リンクには、被曝量を計算してみようという、理系の人が文系の人に丁寧に書いてくれたちっくな資料もあります。

やっぱり今回の事故・事件の鍵は「シーベルト」理解だと思います。テレビでもラジオでも、絶対「食べてもすぐには健康に影響がない」というふうにしか言わない。一方で「政府の定めた暫定基準を超える」と報道しているわけだから、絶対に怪しい。しかもシーベルトは時間のことも考えないといけない。しかし、シーベルトをめぐる報道は時間のことには触れていない。つまり、わかるようには報道されていないのだ。(ただ条件は複数あってそれぞれ変動するから、わかるように短時間で報道するのは、単純なことではなかろうとは思われる。)
ということはやっぱり、人はおのれの身を守るために、悪いように受け取るし、そう受け取ってほしくないのなら、何か危険度数値を時限的な「質」を伴って発表してほしい。
(せっかく fotono さんが苦労して作ってくれても、こんな受け止めだとあかんのかな。しかし、よーし計算してみっか!っていう当該の区域内の市民はそんなに多くないと思うんだよなぁ。)


あと、まあ小泉政権のときに、日本人は結果だけを示され、AかBかという二分法的な選択だけを迫られた国民なんで、プロセスを丁寧に追うとかトレースするっていうのが苦手になっちゃったのね。
郵政は民営化か破綻か、痛みを受けて財政再建するか(なんでおれらが痛いめにあわにゃならん?)か「抵抗勢力」か、リストラするか国際競争に負けるかってね。だから、水が「ひゃくべくれる」だとか、「空中の放射線量がどうだ」とかじゃなくて、「安全か危険か」が知りたいのね。「すぐには危険ではない」とかという中途半端な、あとは勝手に自己責任みたいな情報はすごくいらつくわけ。しかも自己責任で考えるだけの材料も与えられないのに。
さらに自然科学よりも「感謝の心」とか「畏敬の念」とか馬鹿なことを強調する風潮もあって、「畏敬」しろと言われてた自然が津波になって、そこら一面を破壊したり、「感謝」の対象だった原発が荒れ狂うと、「上の人」が出してくる情報には、もう「落胆」と「不信」ばかり先行しちゃうよね。
おまけに震災に乗じて詐欺まがいの商売してるのはオトナでしょ? 子どもは誰も災害ドロや詐欺なんて働いたりしないよ。むしろ子どもが子どもなのに一番がんばってるさ。そんな子どもに「感謝の心」とかオトナが言うな!って、まあ初めの話とぜんぜん違うけど、そう思うね。