昔の観念

じゃあ、こっちに書いておくよ。

ザメンホフには「民族と国際語」という文書がある。そこにはこうある

 けれども、私たちの多くが自然に反感を覚えるような人種がただ一つあるようです。黒人のことです。しかし、よく考えればすぐ分かることですが、そういう反感は皮膚の色とは別のところに原因があります。私たち白人が面と向き合う黒人たちは、つい以前までは未開人で、その後は奴隷の境遇にありました。彼らの大部分は、今でもまだ長い間の未開・奴隷時代の特徴や痕跡をとどめています。それが久しく文明の恩恵によくしている自由人の私たちには、本能的反発を引き起こすのです。黒人に対する白人の感情は、人種的反感のようにも見えますが、じつは先祖代々の貴族が粗野な田舎者に抱く感情と同じです。無知と粗野な態度ががまんできないのです。しかし、こういう未開・奴隷時代の名残りはそのうちなくなり、黒人達が高度の文化水準に達し、偉大な人物を輩出する日が来ます。そのあかつきには、私たちが今持っている無意識の軽蔑や反感が尊敬に代わり、黒い皮膚や厚い唇を嫌がることも、きっとなくなることでしょう。周知のように、他民族どころか自分と同じ民族の中にも不快感を与える身体的特徴を持つ人たちがたくさんいます。……
(1911年、世界人種大会への原稿より)

http://goo.gl/NI9aZ

当時、ザメンホフがこういう文章を書いてしまうのは、仕方の無かったことかもしれない。しかし今日、善意であってもこの文をこのまま表現し・受け入れるわけには行くまい。
文明・文化なるものを中心・最高のものとして、そこから遠い人たちを「開」「野蛮」として蔑視する思想である。ザメンホフもこの文明中心主義、西洋中心主義を全く否定する立場にあったか、というとそうではないのではなかろうか。でも、今そのことは問題ではない。



たとえば、こういう歌がある。
http://fr.wikipedia.org/wiki/La_lingvo_por_ni
http://www.reocities.com/lilandr/kantoj/eismaj/LaLingvoPorMi1.htm

狩りをしている赤いインディアンも、アフリカのジャングルの野蛮な神を持たない黒人も、北極で雪と氷の中に暮らすエスキモーも、みんなエスペラントをしゃべるよ。

というような歌で、メロディーは"Bring Back My Bonnie to Me."なので、エスペラントの集会でも歌われているらしい。
http://www.youtube.com/watch?v=4NBr0DvwJrY


でも、今時歌いやすいからって、こんな歌詞で歌っていいのかい?
悪意はないにしてもちょっと無神経ではないかと思うのだが、考えすぎなのだろうか?