エスペラントでいいです。

おことわり:ここでは、日本におけるマイノリティーの方々の諸権利や処遇については考慮の外においています。書きたいテーマが違うと思うからであるのと、言及する能力や知識がないからであります。Antauxan pardonon.

日本人は日本語だけで何も困らないという幸せ

前に書いた、「外国語の習得」という記事で紹介した『日本人はなぜ英語ができないか (岩波新書)』には、次のようにある「……日本人はもっと英語が、それもとくに会話ができなくては困るという、一種の」強迫にさらされている。

 ……インドやフィリピン、そしてシンガポールケニアといった数多くのアジア・アフリカ諸国の知識階級の人々が、英語を流暢に話すのは、これらの国々が長年にわたって英米の植民地であったからです。しかもその上、国内の複雑な言語事情のために、独立後も英語を使わなければ、教育はもちろんのこと、国内の経済、行政、そして政治から、場合によっては日常生活まで円滑に行えないという、必ずしも喜べない事実にささえられているのです。
 この点で日本の事情はまったく違います。……大学の授業さえも日本語だけで充分なのです。

外国の外国語教育はすばらしいのだろうか

そして今また、オスマン・サンコンさんの「ギニアの外国語教育」を見に行ってみると、日常語以外に公用語であるフランス語と、それに加えて英語とスペイン語を教えるというギニアの外国語教育について賞賛のコメント(運営者によって許可されたもののみ掲載)がいくつかついている。
もちろん、ギニアの語学教育カリキュラムについて否定的に語ろうというものではないし、そんな判断を下す材料は何も持ってはいない。
だが、日本だったらどうかというと、日本で暮らす日本人にとって外国語一般は大変難しいのであって、その難しく・万人に必要というわけでもない外国語を学校で習わせることで、他の公民的資質の育成が犠牲にならないかと心配になってしまう。私だったら、英語だけではなく、他の外国語も成績が悪い上に、ただでさえ得意でない数学は完全に落第点になってしまうことであろう。

しゃべれる外国語が多種多様であればあるほど「すばらしく」なるの?

英語・ドイツ語・フランス語という三大ヨーロッパ語に加えて、どんな言語が身についたら「すばらしい」だろうか。

  • ユーラシアの大国、中国語とロシア語が挙げられるだろう。
  • 「極東の平和」のためにはハングルもできるにこしたことはないね。
  • おっと、チャベス旋風吹き荒れる中南米スペイン語は外せないし、そうなるとポルトガル語も追加しておかないとね。
  • アラビア語とペルシア語もできなきゃね。
  • アフリカといえばスワヒリ語と思われている向きがあると思うが、旧宗主国語以外はそんなに単純じゃない。
  • 人口でもこれからの産業でもインドを忘れてはいけない。ヒンディー語

これらに加えて、アジアではベトナム語トルコ語なんかも入れたいし、アルメニア語や旧ユーゴ諸国の諸語、ギリシャ語、ラテン語世界遺産の多いイタリアの言葉、全く他の言語とは異質といわれるバスク語……
キリはあるけれどキリがないね。言語が増えるにつれ「すばらしい」感じが増してきただろうか?
だんだん、「人にとって大切なことは何だろうか」「国際性って何だろうか」「何のための国際性だろうか」という気持ちが薄々とわいてこないだろうか。



……だから、私はエスペラントでいいと思う。