La unuigo de lingvoj per ekonomiaj kauxzoj (necesoj)
専門家でもなんでもないので、単なる書き散らしですが。しかも結論もなし。
暴力的・政治的強制による言語「統一」は民族自決権が広く認められるまでは、世界中のあちこちで列強諸国によってなされてきたことであった。
最近では旧ソ連と旧ソ連圏における言語問題もチラチラ知られるようになってきた。あのオセチア問題のとき、そもそもオセット人なんて人たちがいることも知らなかったし、しかもアラブ系ということも知らなかった。グルジアがグルジア文字を持っていたことも知らなかったし、……グルジアと言えば黒海、スターリンとシュワルナゼ外相としか浮かばない……そのグルジアがオセチアに対してグルジア語を強制したなんてことも知らなかった。
こうした「強制」はいずれも暴力的・政治的強制であって、それに反抗するのは「違反」であったり「不服従」だったり「反乱」だったりしたであろう。またそれに対しては強制的な排除や逮捕、権利剥奪、あれこれの罰が与えられた場合もあっただろう。
問題なのはというか、悲しいのはというか、不思議なことに、パラドクサなのは、その被支配民族の富裕階層やエリート階層の多くが、自民族の言語を蔑視して、英語やフランス語を「正しい・明瞭明晰な・公正な・科学的で・芸術的な」言語だとみなし、自国語や土着語の撲滅を主張する場合があった(ある)ということである。日本でも日本語を廃止してフランス語か何かにすれば良いのに、とか言い出した作家があった。
漢字が大変だからローマ字で統一しろとか、カタカナにしろとか、いうのも、その亜種であろう。ベトナムでは識字率が低かったせいか、とうとうローマ字が普及して、漢字は打ち捨てられた。ベトナムの場合はホーチミンが対米独立闘争のために識字率を向上させる必要があったことと、ベトナム固有の文字が漢字をさらに複雑にしたものであったため識字率の向上の障害になっていたことなどが考慮されなければならないが。
ざっと探してさしあたり下記など参照。
- 日本大学大学院総合社会情報研究科 田原洋樹氏「ベトナム社会主義共和国の言語状況に関する一考察」(PDF)
- 耳の世界と眼の世界 佛教大学 学報 第45号 1995年10月 掲載
私の上のうろ覚えの根拠になるというわけではない。
どうしたらいいのか難しいのが「経済的強制」による言語の「統一」である。
社会が「強い言語」で運営されているから、少数民族の「弱い言語」は流通しないのである。貨幣と同じ。
外国への依存度が高い、旧植民地国での旧宗主国の言語が「公用語」になっている場合とか、例えばタイなどのように、タイ語が公用語で、山岳少数民族は町で働こうと思えば「タイ語」をマスターせざるを得ないし、町で働かなければ生きていけない貧しい村であったりとか。