北カフカス、北カフカース、北コーカサス
北コーカサスとは北カフカスのことで、Wikipedia@pediaによれば、次の国々があるそうです。
http://wikipedia.atpedia.jp/wiki/%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9カフカースの国々
このブログでの北コーカサス関連の記事、と言っても読書報告ですが、それはこちらです。
http://d.hatena.ne.jp/shiro-kurage/20100111/p1
http://d.hatena.ne.jp/shiro-kurage/20100109/p1
コーカサスの南と北では事情は同一ではないのですが、同根の側面があります。上のリンクの後者の記事から再度引用します。
2008年の南オセチア紛争は、この地域に関心を寄せるすべての人に大きなショックを与えた。
コーカサスでは、ソ連的な枠組みの中で成熟した「エスニック」集団による分断社会の影響が色濃く残っており、その枠を取り払って国の領域を設定することは依然困難なままである。一連の展開は政治選択の幅の狭さ(大衆における政治勢力と政治能力の未成熟)を露呈した。国際社会に認められようと「選挙」という民主主義装置が紛争や「独立」の洗礼・「みそぎ」として行なわれるとき、選択肢の狭さもあいまって、その結果はさらに偏狭な民族主義に傾斜するという悪循環が見られる。
民族問題とこれを口実にした争いは、一般に真実より信念をめぐる闘争であるから、真相が見えにくい。しかも紛争の根は深い。問題はロシア帝国の時代にまで遡るし、紛争のそれぞれの当事者を支援するアメリカとロシアの衝突もソ連崩壊直後からそれは表面化している。
チェチェン紛争ではロシアの内政問題として目をつぶってきた国際社会も、南オセチア紛争によって、コーカサス地域全体の平和と安定が構築されなければ、地元の人々だけではなく、ロシアもヨーロッパもアメリカも自らの信用を落としかねないことに気づいたのではないだろうか。困難な道であるが、これ以上、市民が戦争に巻き込まれることがないよう祈りたい。