エスペラントと戦争協力

エスペラント運動、組織と戦争協力

戦後75年の2020年、かどや ひでのり氏「ファシズム期の日本におけるエスペラント運動」『社会言語学』別冊Ⅲ(「社会言語学」刊行会、2020年)というのが出たので読んだ。
野島安太郎『中原脩司とその時代』(リベーロイ社、2000年)にも戦前のスケッチが書かれていて興味深い。
エスペラントの平和主義が簡単に日本の帝国主義イデオロギーに取り込まれたこと、「協会」の掲げていた「中立主義」は役に立たず、ついにはエスペラントを使って日本の侵略行動を合理化するような言説や日本を賛美するような記事ばかりをROに載せるようになったこと、戦後はそのことを「仕方がなかった」としか「総括」できていないことなど、重要かつ興味深い調査と論考であった。

エスペラントは人間抑圧に無力

エスペラントを使う人はエスペランティストである」という定義からすると、そしてその定義には僕も反対ではないので、エスペラントはこれからも大いに戦争にも人種差別にも、その他さまざまな人間抑圧の思想を表現するだろうし、表現者は人間を抑圧する思想を携えて胸を張ってエスペラントを用いるだろう。控えめな人物であってもエスペラントの「平和主義」をまたもや様々な「正義」に包摂させることであろう。
言語体系としてのエスペラントは人間の人間による抑圧に対して無力に近い。

エスペラントは思想運動として成立しうるか?

エスペラントエスペラントであるがゆえに人間抑圧に抗しうるかどうか。それは一つの思想運動として成立しうるかどうかということではなかろうか。
日本語学習や英語学習が人権運動になりうるかというと、それが被抑圧民族の言語でないなら、そうはならない気がする。
エスペラントの学習や使用が思想運動になるためには、ザメンホフが繰り返し訴えたように、人類愛のようなものがエスペラントと不可分なものとして理解されねばならないし、そのこと自体は創始者の意図がそうであったのだから、無理難題というわけではない。でも多様な思想信条のエスペランティストエスペラントの学習・使用という点だけで一致して組織される団体にザメンホフの思想を要求するのは無理があるように思う。エスペラントという言語自体がホマラニスモやザメンホフユダヤ性などへの立ち返りを要求するかというと、そうではないからである。
エスペラントを学び・使う言語として選択するその入り口に、しっかりとしたホマラニスモのゲートをくぐるような仕組みを設置しなければならない。

エスペランティストの「社会的責任」

結局は人権を尊重する人物かどうかが問われるのだと思う。結局は、一人ひとりのエスペランティストが学問を尊重し、科学や歴史をきちんと学び、近代的な人権感覚を深く身に着けているか、学ぼうとしているか・身に着けようとしているかが問われるのではなかろうか。
科学者も人を殺傷し、抑圧する技術としてその知識を利用する・させることができる(権利ではなく可能性として)。
だから、科学者には「社会的責任」ということが鋭く問われる。科学者組織も繰り返し平和について・デュアルユースについて議論し、何度も「戦争に使わない・使わせない」という宣言をし、くり返して学ばなければならない。(Deklaroj de la Jpana Scienca Konsilantaro参照。ここに、以下の声明を収録しています。1949年 日本学術会議の発足にあたつて科学者としての決意表明(声明)、1950年 戦争を目的とする科学の研究には絶対に従わない決意の表明(声明)(日本学術会議第6回総会)1967年 軍事目的のための科学研究を行わない声明(日本学術会議 第49回総会))
エスペラントも同じであって、エスペランティストエスペラントを人間抑圧に使わない、戦争に奉仕させないということを宣言すべきであろう。
エスペラント組織も、「かつて国家の要請に積極的・消極的に応えて、侵略戦争を美化する行動を行ったが、そういうことは繰り返さない」ということ、「繰り返さないために組織として・構成員として何が必要か追究する」、くらいのことは宣言してもよいのではなかろうか。
一部のエスペランティストが「善意」から他のエスペランティストの弾圧に協力した(かどや)歴史から顧みれば、各自の「善意」だけでは済まされないことは明白なのだから。

エスペラントだけ?

なぜ日本語学習や英語学習には「反戦宣言」が要らなくて、エスペラントに要るのか? 日本語学習団体や英語学習団体が、侵略戦争に協力してきたとするなら、その団体も反省して頂く必要があると思う。
エスペラントの場合は、エスペラントの友愛精神や平和主義を口実に戦争に協力したという事実があるから、その分、特別ということになると思う。

ついでに医学界は?

ついでに医学・医療関連団体の戦争への反省は、ひどく遅れているという印象がある。戦争に協力した医師団体、医学、医学団体は少なくなかったはずだが、反省したというような話を聞いたことがない。優生保護法ハンセン氏病についても医師会がなにか反省して倫理的原則を確認し直した、という話を聞いたことがない(あったのかもしれんけど)。
たとえば、らい予防法に関係する日本医師会の声明は、日本医師会は倫理的課題について我関せず・国の法律の問題という傍観者的・受動的な印象がある。
www.med.or.jp
医学関係のことはよく知らないけれど、どうなのかな?


参考

加藤周一氏は『戦後世代の戦争責任』(かもがわブックレット)の中でこうのべている。「戦後に生まれたひと個人には戦争中のあらゆることに対して責任はないと思います。しかし、間接の責任はあると思う。戦争と戦争犯罪を生みだしたところの諸々の条件の中で、社会的、文化的条件の一は現在も存続している。その存続しているものに対して責任がある」。第九〇回を迎える病理学会は明らかに戦前から存続した存在であり、学会としての責任が問われるのは当然のことであろう。…「戦争と医療」の問題は、学問が政治体制とどのように関わるかという問題とともに、学間や科学技術が人道から離反する危険性をも教えている。
…日本病理学会としての侵略戦争への協力・荷担について歴代会長・副会長の開会・閉会の辞でわかるのは、日本病理学会が如何に積極的に戦争に協力荷担したかということである。その時代には仕方のないことだったという認識で見過ごしていい問題だろうか。病理学という立場から日本の社会をリードすべき存在である学会が、「自主性」なく大勢に引きずられていったと弁明するのも情けないことであるが、もしもそうならば、そうなるに至った原因を、今の時代に、より明確にしておかなければならない。…私は、「やむをえなかった」という消極的側面もあったにしろ、より戦争を推進する力となった積極的側面を、学会誌の記録からよみとることができるのである。
(若田泰「15年戦争と病理学会」『民医連医療』2001年8月号)