八草峠


この間の休みの日にいつもの時間に起きたのだが、バイクに乗りたかったので10時になってから出発した。
暑いので、井倉洞にでも行ってみるか。ああ、でも亀岡を抜けるのが面倒だ(中国道は使わずに山中を西に行く)。
奈良県の八瀬のつり橋もいいな。でも五條に行くまでがたるい。
一番ましなのは朽木から湖北に抜けて木之本の裏から坂内村に抜けるコースのように思える。抜けた後はそこでどうするかを考えよう。

京都市内中心部から大原、鯖街道を北上する。
途中、百井の方に行く道(国道477)に「江見養鱒場」で釣りができるという看板があり、行ってみた。小さな池で子連れの女性が釣りをしているのが見えたが、目が悪くて外からでは料金がわからず、今日の目的でもないので場所だけ確認して引き返した。
朽木を通る鯖街道(国道367)はとうの昔に道路が整備され、小さな川に沿ってうねうね上下左右に蛇行していた旧道は新しい道からはるか下の方に、橋の上などから木々を通して垣間見えるだけである。ときおりランドクルーザーが停まっていて、釣りをしていたり、子連れ家族が浅い川で水遊びをしていたりするのが見える。旧道もこういう楽しい利用があれば良いことだと思う。
まあ、道がまっすぐになったので、みんなものすごいスピードで走っている。どんどん追い抜いてもらう。
朽木の中心部から北側もなんだか道が整備されたような気がする。



朽木を抜けて国道303から今津方面、次は湖西の161号を北上する。これも高架の自動車道である。マキノで国道303に乗り換え西浅井経由で木之本に行くのだが、この303号もなんだか昔通ったのと雰囲気が変わっている気がする。こんな二本の一方通行の(対向分離)トンネルあったかなぁ? あったのかもしれない。思い出せない。



木之本でガソリンを入れ酷道303へと向かう。が、酷道部分はなくなって、山に入ってからも集落は国道から外れたところにあって、枝道で集落に行くようになっている。
木之本−金居原・八草−坂内の道もすっかり「整備」され、山々の中腹を貫くトンネルと、次のトンネルとをつなぐ高架な道がまっすぐ引かれているだけになっていた。
八草峠は二回しか越えたことがないが(トンネルは何度もある)、その前後もトンネルだらけで、あまりにさみしいので旧道を行ってみた。行ってみれば手の入った田んぼに稲穂が育っているものの、ついにはがけ崩れで通行止めである(修復中)。



三ケタ国道というのは、小さな川に沿って山に分け入り小さな集落をつないで走っていたものだ。あるいは山沿いの道を上っては下って漁村をつないでいるものだ。広狭織り交ぜて、集落の出入り口のところはなぜか二車線の大きな道になっているが、すぐに狭くなってうねうね進む。集落の中も家や垣根が道に迫っていて狭苦しい。
こうして集落をつなぐのが三ケタ国道だったが、「改良」されてしまうと、集落は国道から見えないところにあって、旧道への枝道を行かないと集落には行けなくなっている。
道は立派になってびゅんびゅん車はすっ飛ばして行くのに、集落は古びて埃っぽいままで、置き去りにされたような感じである。
つまりは、バイパスなのである。落ちこぼれた生徒は抹消はしないけど、誰もかかずらったりしない、そんなまっすぐの優等生な道が「整備」されていく。


いつもの通り坂内村は建物は立派な大きなものが目立つのだが人影がなく、国道303をゆっくり南下する。
徳山ダムの工事も終わったためか、ダンプは通らず、釣りか何かのレジャーの自家用車ばかりである。
南下していると「揖斐高原→」の看板あり。そういえばここには前から行ってみたいと思っていたのよ。人気(ひとけ)のない県道274を山へと向かう。すれ違ったのは車一台とバイク二台。
交通安全協会のバイク練習会に二・三回参加してからバイクは少しは上手になったと思っている。1.5車線くらいならUターンするのは特別には苦労しなくなったし。だが、姿勢を保持するための力の入れ具合が前と変わって、なんだか異常に疲れる。
でも今ここは対向車も少ない山の広い道だ。股の力を抜いて自転車のように走る。
山の上に向かっていたと思ったが、揖斐高原スキー場を頂点に下りになって、どこだかわからない集落に出た。山の斜面に稲田はあるものの、こんなもので暮らしていけるのだろうか。簡易郵便局かその痕跡みたいな家はあるが、山の方から来たせいか店も学校もない。



木か山の影で薄暗くなった分かれ道あたりで地図を見ようと停まってみれば、「だるま」と書かれた小さな移動販売車の横で、店の主と思しき男性と、近所の人と思われる若い女性が話していた。高齢者ばかり見かけてきたのでかなりインパクトがあった。
「そうか。そうだろうな。車で行かなきゃ、来てもらうしかないよな、モノを買うには。」
道が良くわからないので、国道に出そうな道を選んで行く。しばらく行くと「国見峠→」のでかい看板あり。ただし小さな張り紙で「国見峠は崩落事故のため通行止め」という趣旨のことが知らせてあった。「ただし国見スキー場までは行けます」。
そうか。じゃあ行けるところまで行ってみるか。
夏のスキー場は何もなかった。



さっきの春日美束というところまではバスが来ているらしく、バス停もあって、バスとすれ違いもした。数か所狭いところがあるがバスも楽々通れる道になっている。揖斐川町へと向かう(揖斐川町市町村合併で馬鹿でかくなっていた。揖斐川町の南端に向かう、というのが今では正しい)。
「小宮神」というところで休憩。谷底の川を隔てて茶畑が見える。どうやって向こうの茶畑に行くのか。谷底に小さな吊り橋があって、あれを使うのだろうか。


レトロな雰囲気の集落なのだが、やはり人影がない。そもそも坂内村以南は玄関口などにおいてあるのは「子ども飛び出し注意」ではなく「高齢者の横断(?)に注意」という看板ばかりである。あんまりたくさんあったので写真には撮らなかったけど、ネットでは見つからないね。
目立つのは「日本を取り戻す」のポスターと「幸福○○党」のポスターばかりである。たしかに、これほど「人け」がなく何やってんだかわからないような感じだと、昔の日本を取り戻してほしいという気持ちになるのかもしれん。だが、もう一つの方はあまりにいただけない。住民とではなく守護霊と対話して守護霊の言うことをそのまま疑わない党首の政党のポスターがこれほどたくさん貼ってあってよいのか、日本は。



まあ、「取り戻せる」なら取り戻してもらってらよいが、そのおこぼれがここにも回ってくるのかしら。何が失われたのか、何が奪われたのか、誰のせいで失われたのか、誰が奪ったのか。そのことを抜きに、自分の都合の良いことだけ「取り戻す」ことができるのだろうか。できるはずもない。
「取り戻してほしい、取り戻してほしい」と集落挙げて叫んでいるような印象であった。その気持ちはわかる。



夕方になってしまったので、とっとと国道303を見つけて北上し、坂内村から来た道を安全運転で帰った。


 あとで揖斐川町はでかくなった、と書き足したのだが、地図で見るといかにも広い。念のため Wikipedia で調べてみると、揖斐川町の面積は803.63k㎡なのに対してたとえば琵琶湖の面積は670.25k㎡と、揖斐川町のほうが大きい。
 人口規模で言うと、京都府では与謝野町、大阪では豊能町、愛知県では大口町と同じ規模なのである。なのに琵琶湖より広い。これできめ細かな住民サービスが他の自治体と同じように可能なのだろうか? 2005年に六つの自治体が合併してできたのが揖斐川町である。
 まあ、合併して助かった面もあったか知らんけど、これは地方自治の「バイパス」工事のようなものだ。今まで少なくとも六つは必要だった施設は一つでよくなったはずだから。逆に言うと、五つの村や町では中途半端な役所が残り、遠くの施設に行かねばならなくなった可能性がある。それが琵琶湖より大きいというのだから大変だ。
 岐阜県の合併の地図的な様子は Ken's Room の岐阜県の詳細地図に詳しい。(合併後の「関市」のカタチに注目!)