禁じられた「方言」

テレビを観れば、トルコはとてつもなく訪れてみたい国の一つ、第一位である。
トルコには多数の少数民族がいる。少数民族がいるのは、そして少数民族が少数であるがゆえに抑圧されたり、不便であったりするのは特に大陸では珍しいことではないだろうが、著者も書いているように少数民族に関する情報は極めて少ない。したがってエスペランチストが国連なんかの場でよく主張する「言語権」なども僕なんかにはなかなか「ピン」と来ないのである。
「言語権」にピンと来ない僕などは、こうしたレポートを読んだりして考えるしかない。(もし学校や役所の書類を英語で書き、口頭でも英語で申請せよということになれば、つまり母語でない言語で実行しろということになれば「言語権」という概念は脳細胞の隅々にまで根が張って頭を割って芽が出てくるだろうが。)


確かに日本語(話者)も諸方言や朝鮮語や南方の諸語に対して日本語を「推奨」したり強制したりした時代があった。そう昔の話ではないが、身の回りにはそのことを知っている人はいない。今現在、日本の国内で少数言語がどういう扱いになっているかも知らない。


トルコの言語状況、クルド語などについては日本語版Wikipediaを読めば本書に対応した大体のことがわかる、と思う。

1991年刊『トルコのもう一つの顔』より

 現在(1991年)にいたるまで、クルド語に限らず、大多数の少数民族言語はトルコ国内で読み書き話すことを禁じられている。とは言っても、そういう法律があるわけではない。「トルコ国民はすべてトルコ人であり、トルコ人の言語はトルコ語以外にない、トルコ語以外の言葉はトルコ国内に存在しない」というのが建国以来の歴代のトルコ政府の公式見解である。
 例外は三つある。イスタンブール在住のギリシャ人とアルメニア人だけは、1923年のローザンヌ条約以来公認の少数民族で、ギリシャ語とアルメニア語には、イスタンブールに限り、市民権がある。三つめはアラブ語。コーランの言語であるから、いかに政教分離とは言っても、回教徒が圧倒的多数を占める国でこれを禁止はできない。
(25-26ページ)

 「私の息子は、私服の刑事に『トルコ人クルド人か』と訊かれて『トルコ人ではない。クルド人だ』と答えたばかりに独立運動家とみなされて逮捕されました。…」
(33ページ)

 東部に住むトルコ人は、クルド語がトルコ語とは無関係な言語であることを直感的に知っているが、クルド人と係わりあったことのない西部のトルコ人は「クルド語はせいぜい二百語ぐらいしか語彙のない言葉だ。しかもトルコ語、アラブ語、ペルシャ語が混じったもので『言語』と呼ぶことはできない。独自の言語がないのだからクルド民族などというものは存在しない」と言う。政府の見解もこれと大同小異である。
(59ページ)

 あるトルコ人社会学者は東部でクルド人と接して現地調査を行ったすえ、クルド語は独自の言語であり、クルド人は独自の民族を構成するという結論に達して、「国を売る」言動をしたと見なされ、今にいたるまで獄中生活を送っている。
(60ページ)

 クルド人の歌手イブラーヒム・タトルセスは、スウェーデンで公演中、クルド難民にせがまれてクルド語で歌を歌ったために、帰国を待たずに「国家反逆」の罪に問われた。
(60ページ)

 休暇を利用してトルコ東部で医療奉仕をしていたあるフランス人の医者は、出獄のときにクルド音楽を録音したカセットを持っていたのが見つかって、「分離独立主義者の共鳴者(シンパ)」と見なされて逮捕され、今も獄につながれたままである。
(60ページ)

…フランス語やイタリア語については〔同じラテン系の源を持つ同系統の言語でありながら、トルコの言語学者は〕それぞれが「言語である」と言いながら、ウイグル語やタタール語は「トルコ語の方言である」という。「イスタンブールから北京までトルコ語が通じる」と学校で教えているのである。
(70ページ)

 アルメニアという国が歴史上「一度も存在しなかった」とトルコの学校では教えている。また、「ジンギス汗はトルコ人である」ことになっている。…「モンゴル語トルコ語であり、したがってモンゴル人はトルコ人であるから、ジンギス汗はトルコ人である」というのである。
(74ページ)

 トルコから、たとえばフランスに留学生がやって来る。ハンガリーからも来ている。トルコ人学生は親しみをこめてハンガリー人に言う。
 「あなたがたもトルコ人ですよね」
 「そんな馬鹿な!」
 「えっ、知らないんですか」
トルコ人のほうは、「ハンガリーソ連圏の国だから政治的な理由で事実を認めようとしないのだろうか」と思う。…私が呼ばれて…ハンガリー人のほうに文句なしの軍配を上げざるを得ない。トルコ人は私のことを「ロシアの犬」と呼んだ。
(75ページ)

 …回教徒がアレウィー教徒〔イスラム教の一派とされる〕に悪感情を持つ原因は、ただ一つ「違っている」ということだけらしい。…アレウィー教徒は、〔クルド語の一方言と見なされているが実はそうではない〕ザザ語、クルマンチュ語、またはトルコ語のいずれかを話す。…
(81ページ)

 トルコ共和国はそもそも建国以来、フランスをまねた政教分離の国家であり、政府軍が少数宗教集団を虐殺するなどというのは不条理な謎のように聞こえる。…確かに近代化を目指して宗教色のない教育を始め、公立の学校で女性とがベールを被ることを禁じたりしたのだが、当初から回教の聖職者は公務員であった。公立の宗教高校や神学校があり、聖職者を国費で養成している。国民身分証明書には「宗教」の欄があって、…国の費用で回教寺院を建てる。修理する。…1982年以来「神を冒涜する言葉」を口にすれば憲法違反。
(83ページ)

 「外に聞こえるよ。『われわれのことば〔デルスィム語〕』は禁じられてんだ。お巡りがやって来るよ。トルコ語で歌いなよ」
(85ページ)

 …軍隊ではトルコ語が話せないと殴られるそうだ。なにかを命令されてもなにをすればいいのかわからないから。人の心はつれないもの、他人の不幸を喜ぶ者もこの世には多い。
 …
 理不尽な扱いを兵役でしか受けなかった者は、デルスィム人には稀である。
(90ページ)

 …婦人科医O夫人の家に夕食に招かれたのだが、話題がクルド人のことになったとき、一家は「トルコは社会主義国ではないから少数民族に言語自治を与えることができない」と主張し、…私と意見が合わなかった。「ここはトルコよ。国民全部がトルコ語をしゃべるのが当然だわ。クルド語を話したいものはクルディスタンに行ってしまえばいいのよ」と叫んだO夫人の金切り声が今でも耳に残る。それではクルディスタンは一体どこにあるのかと尋ねたところ、返事は、「ソ連よ」であった。…O家を去るとき、閉めた戸の向こうで私のことを「共産主義者」「ソ連の犬」と言っているのが聞こえた。
(203-204ページ)

 …私と話をしていたラズ人の一人に警官が、「ところでお前はラズ人か、トルコ人か」と訊く。…
 ラズ人は、一秒半ほど沈黙したあとで、低く「トルコ人です」と答えた。そう言いながら目を伏せた、その胸のうちを思いやって、私は暗澹たる気分になった。
(208-209ページ)

 …トルコ人の郡司の前でヘムシン人がこう言ったのである。
 …「…私たちの祖先は、中央アジアから遊住しながらやって来てここに住みついた純粋のトルコ人です。…『ヘムシン語』というものは存在しません。
 祖先が「中央アジアから……」と言うとき、ヘムシン人は明らかに嘘をついていた。クルド人をはじめ幾多の少数民族が---あるいは「元」少数民族が---これと同じ事を口にするときの、怒りを隠し、悲しみを抑え、恐怖と虚勢との入り混じった特有の表情である。それは「命が助かるための」嘘であり、私の倫理観からすれば弾劾してはならない性質のものである。
(211ページ)

 …私は皆にせがまれてラズ語で歌を歌おうとして官憲の手で退場させられてしまった。警察官が「ラズ語が禁止だということをあなたは知っているはずです」と言う。
(215ページ)