栗栖継 sur la Revuo Orienta

栗栖継

下の表もROを検索したもの。「EKRELO」という連載が面白そうだ。連載第一回の冒頭の説明によれば、EKRELO とは Eldon-Kooperativo por Revolucia Esperanto-Literaturo の略で、SAT内の対立が激化していた1930年、SEU(Sovetrespublikara Esperantista Unio)を中心とするSAT反対派が設立した出版社のこと、とのことである。
ざっと斜めに拾っただけでは、EKRELOと栗栖の関係(はじめは両者の思想は一致していたらしい)や、執筆の動機はわからないけれど、読んでみたいと思う。

1943年08月 p12= 会員の動き:赤松定雄、栗栖継之進、鶴野六朗 p12
1949年07月 p26= 同じ太陽が世界を照らしている(栗栖継) … 三宅史平 p26-27
1949年09月 p28= Libro : 世界の声(栗栖継) … 三宅史平 p28
1949年10月 p33= 小坂賞は栗栖継氏に p33
1950年06月 p43= 個人消息:矢野笹雄、野島安太郎、栗栖継 p43
1956年03月 p18= わが子にエスペラントを教えて … 栗栖継 p18-19
1961年11月 p35= 消息: 南雲道夫、栗栖継、長井さと、ブラット夫人 p35
1968年04月 p20= Libro : Freŝa mateno … 栗栖継 p20-21
1968年04月 p33= 切抜帳: (読売新聞から) チェコエスペラント運動 … 栗栖継 p33
1971年04月 p17= これはこう言う … 菅原慶一、栗栖継、柴山純一、阪直、長野春穂 p17
1971年06月 p15= Tra Japanujo helpe de Verda Stelo… Oldřich Kníchal、 栗栖継 p15---17
1973年03月 p17= EKRELO (1) … 栗栖継 p17---26
1973年04月 p30= EKRELO (2) … 栗栖継 p30---36
1973年05月 p24= EKRELO (3) … 栗栖継 p24---26
1973年07月 p27= EKRELO (4) … 栗栖継 p27---36
1973年08月 p18= EKRELO (5) … 栗栖継 p18---24
1973年11月 p21= EKRELO (6) … 栗栖継 p21---26
1973年12月 p22= EKRELO (7) … 栗栖継 p22---28
1974年02月 p21= EKRELO (8) … 栗栖継 p21---28
1974年04月 p19= 社会主義を知る武器として … 栗栖継 p19
1974年06月 p24= EKRELO (9) … 栗栖継 p24---31
1974年07月 p11= EKRELO (10) … 栗栖継 p11---16
1974年08月 p12= EKRELO (11) … 栗栖継 p12---17
1974年10月 p17= EKRELO (12) … 栗栖継 p17---22
1974年10月 p40= ひろば: 今年の日本大会になぜ参加するか … 栗栖継 p40
1974年11月 p11= EKRELO (13) … 栗栖継 p11---16
1974年12月 p10= EKRELO (14) … 栗栖継 p10---15
1975年01月 p27= EKRELO (15) … 栗栖継 p27---32
1975年04月 p16= ひろば: UEAの委員改選で納得いかないこと … 栗栖継 p1617
1975年07月 p28= ひろば: UEAの問題をもっと積極的に … 栗栖継 p28
1976年11月 p24= エスペラントを育てた人びと(11) Ivo Lapenna … 栗栖継 p24
1978年03月 p24= 書評「La Kaŝita Vivo de Zamenhof」(1) … 栗栖継 p24-25
1979年04月 p27= 読書案内 … 図書部 林健栗栖継 p27-28
1984年09月 p15= 書評:Historio de la Esp-Movado en Ĉeĥoslovakio … 栗栖継 p15-16
1985年08月 p03= 98年前も、いまも、(栗栖継氏との会話) … 森田明 p3
1985年10月 p14= 周尭:ウィルキンソン教授との対話 … 栗栖継訳 p14-15
1986年05月 p32= 緑の友情 … 李威倫著、訳:栗栖継 p32---35
1988年10月 p43= 私の2さつ (48):Marta (Orzeszko著, Zamenhof訳)各版 … 栗栖継 p43
1998年02月 p29= 消息: 栗栖継 p29
2001年02月 p37= 消息: 栗栖継 p37
2004年06月 p23= "Batato" の記憶 … 栗栖継 p23---25
2004年06月 p151= "7000 tagoj en Siberio" の中国語訳出版を実現させよう … 栗栖継 p151-152
2006年03月 p20= 書評:# Recenzo : Taglibio de mia frato … 栗栖継 p20
2009年06月 p36= 訃報: 栗栖継 p36
2009年07月 p27= 追悼:栗栖継氏 … 柴山純一 p27<<

植民地台湾エスペラント運動史

植民地台湾エスペラント運動史

松田はるひというのは、どういう人であろうか。人名事典を持っていないのでわからない。


1977年06月 p20= 緑の蔭で(1)---植民地台湾エスペラント運動史 … 松田はるひ p20---23
1977年07月 p27= 緑の蔭で(2)---植民地台湾エスペラント運動史 … 松田はるひ p27---29
1977年08月 p18= 緑の蔭で(3)---植民地台湾エスペラント運動史 … 松田はるひ p18---22
1977年09月 p14= 緑の蔭で(4)---植民地台湾エスペラント運動史 … 松田はるひ p14---19
1977年11月 p18= 緑の蔭で(5)---植民地台湾エスペラント運動史 … 松田はるひ p18
1978年01月 p22= 緑の蔭で(6)---植民地台湾エスペラント運動史 … 松田はるひ p22---24

朝比賀昇(あさひがのぼる) sur la Revuo Orienta

朝比賀昇(小林司)の記事は読みごたえがありそうだ。

日本エスペラント

1970年01月 p19= 日本エスペラント学会50年のあゆみ (1) … 朝比賀昇 p19-25
1970年03月 p20= 日本エスペラント学会50年のあゆみ (2) … 朝比賀昇 p20---25
1970年04月 p18= 日本エスペラント学会50年のあゆみ (3) … 朝比賀昇 p18---22
1970年05月 p23= 日本エスペラント学会50年のあゆみ (4) … 朝比賀昇 p23---27
1970年06月 p24= 日本エスペラント学会50年のあゆみ (5) … 朝比賀昇 p24---28
1970年07月 p23= 日本エスペラント学会50年のあゆみ (6) … 朝比賀昇 p23---26
1970年08月 p14= 日本エスペラント学会50年のあゆみ (7) … 朝比賀昇 p14---17
1970年10月 p16= 日本エスペラント学会50年のあゆみ (8 補遺) … 朝比賀昇 p16---22
1971年06月 p22= 斎藤秀一の位置づけ … 朝比賀昇 p22---26
1974年04月 p38= (豆歴史) 日本におけるエスペラントのあyみ … 朝比賀昇 p38
1974年10月 p38= 書評「反体制エスペラント運動史」 … 朝比賀昇 p38
1976年02月 p20= 小坂賞のひとびと(1) … 朝比賀昇 p20-21
1976年03月 p24= 小坂賞のひとびと(2) … 朝比賀昇 p24---26
1976年04月 p27= 小坂賞のひとびと(3) … 朝比賀昇 p27---29
1976年05月 p22= 小坂賞のひとびと(4) … 朝比賀昇 p22---24
1980年11月 p23= E運動に対する太平洋戦争中の弾圧 … 朝比賀昇 p23---27
1982年06月 p04= 特集・戦時下の日本エスペラント運動 … 朝比賀昇 p4
1995年08月 p11= 日本のエスペラント運動の戦後50年 … 朝比賀昇(小林司) p11---15

エスペラント100年

1977年07月 p04= エスペラント90年のあゆみが示すもの … 朝比賀昇 p4---6
1987年04月 p04= エスペラントにとっての100年 (1) ザメンホフ … 朝比賀昇 p4---6
1987年05月 p04= エスペラントにとっての100年 (2) ロマン・ロラン … 朝比賀昇 p4---9
1987年06月 p06= エスペラントにとっての100年 (3) ランティ … 朝比賀昇 p6---8
1987年07月 p25= エスペラントにとっての100年 (4) プロエス運動の人びと … 朝比賀昇 p25---27
1987年08月 p07= エスペラントにとっての100年 (5) エスペラント報告同盟の人びと … 朝比賀昇 p7---9
1987年09月 p21= エスペラントにとっての100年 (6) 斎藤秀一と長谷川テル … 朝比賀昇 p21---23
1987年10月 p22= エスペラントにとっての100年 (7) 右翼の北一輝と徴兵拒否者石賀修 … 朝比賀昇 p22---24
1987年11月 p07= エスペラントにとっての100年: (8) 戦後の大衆への影響 (完) … 朝比賀昇 p7---9

ザメンホフ

1972年12月 p22= ユダヤ人差別と闘ったザメンホフ (1.序説) … 朝比賀昇 p22---32
1975年01月 p18= ユダヤ人差別と闘ったザメンホフ(2) (IIシオニズムの活動家として (1)) … 朝比賀昇 p18---21
1975年02月 p19= ユダヤ人差別と闘ったザメンホフ(3) (IIシオニズムの活動家として (2)) … 朝比賀昇 p19---24
1975年03月 p21= ユダヤ人差別と闘ったザメンホフ(4) (Ⅲ.著作の分析から (1)) … 朝比賀昇 p21---24
1975年04月 p18= ユダヤ人差別と闘ったザメンホフ(5) (Ⅲ.著作の分析から (2)) … 朝比賀昇 p18---22
1975年10月 p16= ひろば: 「朝比賀昇論文への質問」 … 清水孝一、(回答)朝比賀昇 p16
1990年09月 p36= 東欧革命までの100年史におけるザメンホフの思想的位置 … 朝比賀昇 p36---38
1973年06月 p11= ≪La Esperantisto≫ はなぜ検閲にとがめられたのか … 朝比賀昇 p11---17

エスペラント

1996年04月 p24= 謎解きエスぺラント史(1):Homaranismoへの改称の謎(1) … 朝比賀昇 p24---26
1996年05月 p21= 謎解きエスぺラント史(2):Homaranismoへの改称の謎(2) … 朝比賀昇 p21---23
1996年06月 p22= 謎解きエスぺラント史(3):Homaranismoへの改称の謎(3) … 朝比賀昇 p22---24
1996年07月 p34= 謎解きエスぺラント史(4):Homaranismoへの改称の謎(4) … 朝比賀昇 p34-35
1996年08月 p25= 謎解きエスぺラント史(5):Homaranismoへの改称の謎(5) … 朝比賀昇 p25-26
1996年09月 p28= 謎解きエスぺラント史(6):Homaranismoへの改称の謎(6) … 朝比賀昇 p28-29
1998年07月 p06= ホマラニスモとは? … 朝比賀昇 p6-7

訃報・人物伝

1969年09月 p06= 緑に輝く巨星墜つ (小坂狷二) … 朝比賀昇 p6---9
1982年10月 p11= 追悼:故江上不二夫JEI会長のE運動への貢献 … 朝比賀昇 p11
1986年09月 p28= 追悼:プロレタリアエスペラント運動の闘士、岡一太さんを悼む … 朝比賀昇 p28-29
1989年01月 p12= 組織者としての小坂狷二 … 朝比賀昇 p12---14
1994年12月 p21= 追悼:イシガオサムさんを悼む … 朝比賀昇 p21
2004年06月 p121= 組織者としての小坂狷二 … 朝比賀昇 p121---123

他国の運動

1970年01月 p10= Esperanto (世界のエスペラント誌めぐり)(1) … 朝比賀昇 p10-11
1970年02月 p12= Heroldo de Esperanto (世界のエスペラント誌めぐり)(2) … 朝比賀昇 p12-13
1970年03月 p16= Sennaciulo (世界のエスペラント誌めぐり)(3) … 朝比賀昇 p16-17
1970年04月 p13= The British Esperantisto (世界のエスペラント誌めぐり)(4) … 朝比賀昇 p13-14
1970年05月 p13= la Praktiko (世界のエスペラント誌めぐり)(5) … 朝比賀昇 p13-14
1970年06月 p14= Nuntempa Bulgario (世界のエスペラント誌めぐり)(6) … 朝比賀昇 p14-15
1970年07月 p21= Norda Prismo (世界のエスペラント誌めぐり)(7) … 朝比賀昇 p21-22
1970年09月 p20= El Popola Ĉinio (世界のエスペラント誌めぐり)(8) … 朝比賀昇 p20-21
1970年10月 p23= La Suda Stelo Esperanto-Gazeto (世界のエスペラント誌めぐり)(9) … 朝比賀昇 p23-24
1971年02月 p23= Hungara Vivo (世界のエスペラント誌めぐり)(11) … 朝比賀昇 p23-24
1971年12月 p24= PACO(世界エスペラント雑誌めぐり 12) … 朝比賀昇 p24-25

書評など

1972年05月 p27= 書評《蘭学事始》 … 朝比賀昇 p27
1973年07月 p37= 書評: La Dangela Lingvo … 朝比賀昇 p37-38
1978年06月 p22= 書評「La Kaŝita Vivo de Zamenhof」(4) 『ユダヤ人問題を鋭く追求』 … 朝比賀昇 p22-23
1983年11月 p24= 私の2さつ (5) … 朝比賀昇 p24
1984年04月 p13= 書評: 岡山のエスペラント … 朝比賀昇、大島義夫 p13-14
1990年05月 p43= 書評:Trezoro : La Esperanta novelarto 1887-1986 (red. R. Rossetti kaj H. Vatre) … 朝比賀昇 p43-44
1990年12月 p22= 今年読んだ本 朝比賀昇 p22
1985年05月 p06= エスペラントから日本語に訳された本 (1) … 朝比賀昇 p6-7
1985年06月 p12= エスペラントから日本語に訳された本 (2) … 朝比賀昇 p12-13
1985年07月 p20= エスペラントから日本語に訳された本 (3) … 朝比賀昇 p20-21
1985年08月 p20= エスペラントから日本語に訳された本 (4) … 朝比賀昇 p20-21
1985年10月 p24= エスペラントから日本語に訳された本 (5) … 朝比賀昇 p24-25
1985年11月 p16= エスペラントから日本語に訳された本 (6 完) … 朝比賀昇 p16---18

その他

1953年03月 p28= Nia salono : 山内由英(岐阜療養所)、朝比賀昇 p28
1971年08月 p15= エスペラント学力検定試験(エスペラントメモ) … 朝比賀昇 p15---17
1971年10月 p19= ひろば: 「学力検定試験」追加 … 朝比賀昇 p19
1972年01月 p26= 1971年秋の研究発表会 … 朝比賀昇 p26
1973年12月 p35= 1973年の日本エスペラントウ運動をふりかえって … 朝比賀昇 p35---37
1974年12月 p34= 1974年の日本エスペラント運動をふりかえって … 朝比賀昇 p34---36
1975年12月 p11= ザメンホフゆかりの地を訪ねて … 朝比賀昇 p11---14
1977年04月 p03= アンニーを探して … 朝比賀昇 p3
1977年08月 p03= 祭の時代に終止符を … 朝比賀昇 p3
1977年12月 p03= ヴィクトリア朝からの脱却 … 朝比賀昇 p3
1998年07月 p09= 世界大会より日本大会の回数が多いのは? … 朝比賀昇 p9-10

エスペラントと戦争協力、その2

La Revuo Orienta は終戦前後に休刊を余儀なくされるのだが…

休刊前のRO誌が戦争一色かというと、わりとそういう雰囲気でもないが、大東亜共同宣言を訳出したり、「撃ちして止まむ!」とか海軍大臣の戦況報告演説をトップ記事に訳してみたり、翼賛的な記事もちらほら目につく。(かどや氏の論文では1938年8月号の理事長声明「現時局とエスペランチスト」を紹介している。これは日本エスペラント協会の会員で一定の手続きを取れば、いつでもネットでも読めるし、会員にはすでに配布されている非売品の『100年史』にも掲載されている。)
また1940年10月号では「新体制への出発、IEL離脱の意義」で三宅史平は、IEL(Internacia Esperanto-Ligo)から日本エスペラント学会は離脱するが、これからも各国のエスペラント団体との友好関係を持っていくけど、それは「八紘一宇の精神」によるものである、と書いている。(よく読めばこの声明がひどいので、別に記事を作った。「「八紘一宇」精神下のエスペラント」)

1944年3月号 休刊のあいさつ

 国を挙げての決戦態勢に応える緊急措置として、この機関誌を休刊することにいたしました。…枢軸陣の決定的勝利の日の再刊を期しながら、会員、読者諸氏としばらくお別れするわけであります。…
 (機関誌発行を続けてきたのは)…また一面、国際的接触をつねに意識しての、国威発揚の一端にも役立ちたいとの副次的効果へのねらいでもありました。
 …
 その本来の使命の達成につきましては、(日本エスペランチスト団の水準を高めて)これに対する敬服を通して、各国エスペランチストの文化日本に対する認識を深めさせ、日本人への信頼、親愛の念を高めさせたのであります。…(世界エスペラント大会は満州国にもメッセージを送り、その建国を正当視したり)…支那事変に際しては、中国側エスペランチストのやっきの宣伝にもかかわらず、各国エスペランチストは…日本に対する善意を失うことがありませんでした。…

 戦争中も機関誌を発行しつづけるのは戦争の後、各国のエスペランチストに与えるであろう印象を考えに入れていたからである。つまり「大東亜戦争」の勝利の日にエスペラントの雑誌を出し続けていたということが世界に対する文化的勝利を決定的にすると思って、雑誌を発行し続けてきたのである。、というようなことが続きに書いてある。


1946年3月の戦後初の日本エスペラント大会の大会宣言

敗戦を迎え、エスペランチストも戦死したり被災したりあったものと見受けられるが、敗戦を機にしての反省などは何もない。
La Revuo Orienta 1946年3月号

 恒久的世界平和の精神的基礎が諸民族間の理解の上に育成せられる連帯感情にあるに鑑み、
 国際的諸関係における共通語の採用はかかる相互的理解をもたらすに必須なる基本条件にして、各民族の自由と尊厳とに対する相互の尊敬を原則として創造されたる国際補助語エスペラントはこの意味において人類最高の理想を具現するに最も有効かつ適切なる言語的手段であるとの確信のもとに、
 第32回日本エスペラント大会は、エスペラントのより広範なる利用が人類福祉のために促進せらるべく、全日本のエスペランチストが上述の目的達成のために更に積極的なる活動に邁進すべきものなることを宣言する。


第32回日本エスペラント大会

戦後初のRO再刊号に寄せられた意見も、戦争については地震か台風、水害をやり過ごした後のような意見ばかりが掲載されている。正直、国が国民を巻き込んで行った戦争なぞ、身内や自分に災難が降りかからなければ、その程度のものだったのかもしれない。

医療・看護と戦争

いろいろ書いたついでに、ネットで拾ったものをメモしておく。
後日追加するかも。


たとえば、下の論文は、ただ調べて記録するというのが「目的」の文章なのかもしれないけれど…。日赤が「中立」の旗のもとに核時代に何をしているのか、教えてくださると嬉しいが。

第二次世界大戦における日本赤十字社の衛生支援

…過去,この大戦における日赤の衛生支援に関する研究は,法令や規則,政府や軍との関係を解明するものが大部分であった3–8).
…救護看護婦の記した体験記がいくつかあるが,彼女らの悲惨な体験の背景にあった日常の活動とそれを支えた制度を知ることも,戦争と看護を理解するうえで重要と考えた.


...赤十字の人道博愛と報国恤兵の 2 つを柱とする教育が行われていたことは舟越が指摘する通りである 59).そして彼女らの激務を支え続けたのが看護婦の精神教育の中心ともいえる救護員十訓であった60).


...この戦争で日本は無謀な戦いをし,多くの犠牲者を出した.日赤は,衛生支援に全面的に協力し,看護婦をつぎつぎと速成養成し,繰り上げ卒業を行って動員した.看護婦自身も個々の事情があっても,日赤の看護婦であることを誇りに思い,召集に応じた.
...日赤が戦時救護を主たる目的とした組織であった以上,救護員を派遣して目的を果たそうとするのは当然であったといえる.また戦争が必然的に人命の損失をともなうならば,もとより満足できる衛生支援などないのかもしれない.

http://jsmh.umin.jp/journal/61-4/61-4_gencho_1.pdf

慰安婦問題とか

次の文が気になっていたが、ROのバックナンバーを閲覧できるようになって、どういうものであったか読むことができる。

 「従軍慰安婦は、韓国の親たちがお金のためにその娘を売ったもので、売春婦にすぎない」といった内容の醜悪なエスペラント文が日本エスペラント学会の月刊機関誌「エスペラント」に掲載されたのは、1998年8月であった。もちろんエスペランティストにも言論の自由があるから何を書いてもよいのだが、韓国の友人のメールではじめてこの記事について知ったとき、私は恥ずかしいと思った。日本の代表的なエスペラント雑誌にどんな記事が掲載されているのか知らないままに、外国人と交流するわけにはいかないと思った。

https://blog.goo.ne.jp/esperakira/e/a056c98bdd220c170c3529044371b4b7

この「"Konsolulinoj" aux prostitutinoj en euxfemismo」(1998.8)という記事に対して、どのような反応があったかも気になっていた。

  • Cxu atencinto riprocxu atenciton? (1998.10)
  • Reprenu viajn demandojn, mia kara junulo (1998.11)
  • Histori-domo de japna-armeaj 'seks-sklavinoj' (1998.11)

反応はここらへんで終わっているように思える。(投稿はどれも知らない単語がやや多くて僕には読みづらい)



慰安婦は売春婦だとか、原爆は必要だとか、何でも書こうと思えばかけるし、書いたものに応じて人間関係も広がったり狭まったりするだろう。
大事なのは科学や学問に照らして反省して訂正できるかどうか、他の人たちの人格を尊重しているかどうか、などであろうか。いずれにしても書き手の今日的人格が問われることではある。

伊東三郎という人

伊東三郎という人がどういう人だったのか、もうすこし詳しく知りたくて。
RO誌に伊東が書いた記事を容易に検索できるようになったので、下記にメモしておく。
伊東三郎は、磯崎巌、伊井迂(「誰か」という意味らしい)、I.U.の名で掲載されているらしい。

磯崎巌

  • 1925年01月 p08= # Al birdeto forfluginta 去り小鳥(原作詩) … 磯崎巌 p8
  • 1926年04月 p04= # 猿蟹合戦 … 磯崎巌 p4-5-6
  • 1936年06月 p97= 僕の思ひ出、何が僕をエスペランチストにしたか … 磯崎巌 p97---104
  • 1937年07月 p09= 図書館とエスペラント、我々の重要なる任務 … 磯崎巌 p9---12
  • 1938年05月 p44= 個人消息:磯崎巌、西村祭喜(Z万年筆発明者)、米田徳次郎 p44
  • 1939年04月 p18= $ 支那詩抄 … 磯崎巌 p18-19
  • 1939年06月 p15= # 漢詩:敕勒歌 … 訳・磯崎巌 p15
  • 1945年11月 p06= 芸術・理論・実践 … 磯崎巌 p6-7

※これを読んで意外で、ややがっかりしたのは、この号が戦後再発行を始めたRevuo Orientaで最初のまとまった読むことのできる文章の一つであり、伊東が戦後初めてRO誌に載せた文章だからである。戦争のことは何一つ触れていない。

 エスペラント芸術の問題、エスペラント理論の問題、エスペラント実践の問題…私自身も客観的に回顧しますと、研究、普及、実用のそれぞれに関して努力を払ってきましたが、主観的に、私の内の注意の焦点は前記芸術と理論と実践との課題になります。…
 ともかくこうした私の特殊傾向をそれと自覚して一層その方向に積極的に勉強することが私の努めではないでしょうか。
 一別以来、世の中も幾回転し、また我々の生活体験も決して単純僅少なものではなかったのですが、それで我々のエスペラントに関する考えや方針もまた大いに変わるべきでしょうか。否々、変わった点はただ成熟し深められたということだけで、根本的には当初のままの方向を一層反省自覚的にたどること以外に生き方はないのではありますまいか。…

  • 1956年06月 p18= 先輩はなぜ・どうして学んだか 協会会員現存者調査

磯崎巌、伊東三郎伊井迂、I.U.として。
その他、山鹿泰治、比嘉春潮、(藤沢親雄)、(秋田雨雀)、長谷川理衛、井上万寿蔵等

Iŭao Isozaki

  • 1925年08月 p07= # Ŝi fartu bone … Iŭao Isozaki p7
  • 1925年08月 p07= # El ISE MONOGATARI … Iŭao Isozaki p7
  • 1926年04月 p04= # Krabo kaj simio (infana rakonto japana) … trad. Isozaki Iŭao p4-5-6
  • 1926年10月 p05= # Homa Rano (Infana epopeo) … Iŭao Isozaki p5-6-7
  • 1937年08月 p07= エスペラントと実業との結合について … Iŭao Isozaki p7---13
  • 1939年04月 p18= # El antikvaj ĉinaj poemoj … I. Isozaki p18-19
  • 1939年06月 p15= # Kanto de Ĉihlej … Hu-Lŭoĉin, trad. ISOZAKI-Iwao p15
  • 2019年11月 p06= # Ŝi fartu bone … Iŭao ISOZAKI p6

伊井迂

  • 1932年12月 p20= 私の意図(Kion mi celas) … 伊井迂 p20-21
  • 1937年10月 p28= # Bela, Bona, Uzo, Muzo (実業分科会を祝して漫歌一篇) … 伊井迂老人 p28
  • 1937年11月 p23= # Jubilea Readmono, al la 25a kongreso … I. U. (伊井迂) p23
  • 1937年12月 p04= エス発展の為、調査事業計画化の必要に就いて … 伊井迂 p4---6
  • 1939年10月 p37= 英語数育再検討 … 伊井迂 p37---39
  • 1965年06月 p18= 小坂狷二先生の喜寿をお祝いしよう … 伊井迂 p18

I.U.

  • 1968年01月 p11= Al k-do Jui … I.U. p11
  • 1982年01月 p10= I.U.の詩 … 平野雅曠 p10-11
  • 2004年06月 p101= # Al kamarado … JUI : I.U. p101

伊東三郎

伊東三郎について