日本国憲法の英訳とエス訳とを目にする機会があって、ちょっとだけ読んでみた。
「国民」の訳は people、popolo で良いのか。
日本国憲法に「国民」「日本国民」という語が用いられているが、日本「人民」とは書かれていない。だが、英訳ではことごとく people が当てられている。
ただし、第10条だけが異なる。
第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
Article 10. The conditions necessary for being a Japanese national shall be determined by law.
日本の現行憲法を英訳なりエス訳なりするときに、「国民」を people や popolo で表現する気持ちはわかる。対照的に「臣民」は英語なら subjekts だそうだし、エスペラントなら「支配されている人」 regato という語が挙げられる。戦後の日本の憲法が、天皇主権ではないところの「国民」主権としての日本を表現するのであれば、people や popolo を使うのは自然なことであろう。
しかし、「国民」という文字は「人民」という文字ではなく、「自然人」a natural person、natura persono や「個人」ではないのであるから、なんでもかんでも people、popolo というわけには行かないんじゃないのかな。だからこそ第10条では英訳(上のサイトは法務省が運営しているらしい)も people という語が使えないのだろう。
GHQの案とその翻訳、交渉・改変…
早稲田大学比較憲法研究所の『比較憲法』の第45巻第3号(2012年3月)、後藤光男氏「日本国憲法制定史における「日本国民」と「外国人」」(PDF)には次のように紹介されている。
外国人の人権と平等について,GHQの起草した案には次の2か条があった(41)。…
第13条 すべての自然人(All natural persons)は,法の前に平等である。人種,信条,性別,社会的身分,カーストまたは出身国(national origin)により,政治的関係,経済的関係または社会的関係において差別がなされることを,授権しまたは容認してはならない。
第16条 外国人は,法の平等な保護を受ける。このGHQ案の受け入れを決定した日本政府は,「GHQ案を翻訳した」といわれるが,その過程は決してGHQ案に忠実であったわけではなく,法制局官僚の巧みな「日本化」がみられる,と古関彰一は指摘する。
日本案は次のようなものであった。第13条 凡テノ国民ハ法律ノ下ニ平等ニシテ,人種,信条,性別,社会上ノ身分又ハ門閥ニ依リ,政治上,経済上又ハ社会上ノ関係ニ於テ差別セラルルコトナシ。
第14条 外国人ハ均シク法律ノ保護ヲ受クルノ権利ヲ有ス。
佐藤達夫は,GHQ側との交渉過程で,外国人の人権保護は日本国民と平等であるとの回答を引き出し,そうであれば特段に外国人の人権保護規定を設ける必要はないとして日本案14条を削除し,13条に外国人の人権も含めるとして次の規定で合意を取り付けたとされる。
凡テノ自然人ハ其ノ日本国民タルト否トヲ問ハズ法律ノ下ニ平等ニシテ,人種,信条,性別,社会上ノ身分若ハ門閥又ハ国籍ニ依リ政治上,経済上又ハ社会上ノ関係ニ於テ差別セラルルコトナシ。
こうして日本案14条を削除させたのである。しかし,佐藤達夫はまだ不満で「日本国民タルト否トヲ問ハズ」と「国籍」の二箇所の削除を望んだ。
さらに,GHQと交渉し,「日本国民タルト否トヲ問ハズ」が消え,さらに「国籍」は「門地」に変り,最終段階で「すべて国民は……」となって,草案から直接外国人を保障する規定はすべて消えた。そして,「国民」は「国籍保有者」であるとの解釈が生まれ,外国人の権利保障は"未完の戦後改革"に終わった。
(ここら辺のことは、もっと簡単にではあるがエスペラントと平和の条件―相互理解と言語民主主義にも紹介されていた。)
「国籍」がまとわりつく「日本国民」
上にやや長い引用になったが、そして是非、上の論説をお読みいただきたいのだが、現行の日本国憲法における「国民」というのは、主権者としての popolo でありながら、日本語では常に「国籍」性 sxtataneto を伴わせるような表現になっているのではあるまいか。(特に憲法について学校の授業以上の学習をしたことがほとんどないので、このことは推測にすぎないが。)
とすると、何もかも popolo と美しく訳すのではなく、そういう sxtateneco という sxuldo を負っている語としての「国民」については、sxtatano とか regano とか naci(an)o とかの語も適宜使うのが、「国民」の人権についてばかり語り、「外国人」(や国籍を得られなかった子ども)の人権について語らない日本国憲法の訳としては適当なのではないかと思う。