京都でうまいもの / Bongustaj mangxajxoj en Kioto

ザムとの旅行

本家 lernu! (習いなはれ)の初級課題に、「挫無(Zam というエスペランチストな宇宙人)と旅行」というのがある。

Zam は本家の絵を見ると、触角のある鼻の大きなえらの張った気色悪い宇宙人である。しかも Ana renkontas という課題の設問に出てくる Zam は「しょうもないこと言い」で腹が立ってくるのである。
ま、「挫無」とは一見してとんでもない名前なのだが、いま視覚的に良くない文字を選んで Zam と組んでみると、図らずも「挫け無い……くじけない」となった。

で、宇宙人と一緒に地球のいろんな都市を巡るのだが、日本では京都に来ることになっている。その記事はつぎのようになっている。

京都はおいしい料理で知られています。▼京都の料理はどんなものでしょうか?新鮮でおいしいです。▼私は寿司、或いは、別の言葉で日本の米の巻物、が一番好きです。▼どれだけの寿司を私は食べられるでしょうか?▼あるだけ!▼こんな答えにどれだけ満足していただけたでしょうか?▼「質問に合わせた答え」ともことわざに言われていますし...

Kioto estas konata pro siaj bonaj mangxajxoj. / Kia estas la mangxajxo en Kioto? Gxi estas fresxa kaj bongusta! / Mi plej sxatas Susxion, aux alivorte, japanajn rizvolvajxojn. / Kiom da Susxi-pecoj mi povas mangxi? / Tiom da pecoj kiom estas! / Kiom kontenta vi estas pri tia respondo? / Kia demando, tia respondo. kiel diras la proverbo...

(vojagxo kun Zam @lernu!)

なんでまた京料理のはずが、巻き寿司ミリンダなのか、「どんだけぇ!?」である。

京都のうまいもの

外人はこの記事を読んで、巻き寿司目当てで京都に来るのだろうか。「ザムとの旅行」には京都については人口や通貨以外、これしか記述がないのである。まさか「ザムとの旅行」のみを頼りに京都のイメージを形成する旅行者もいないだろうが。
だいたい、「京都の着倒れ・大阪の食い倒れ」と言うし、京都固有のうまい料理というものはないのではないか。少なくとも私個人には、そんなものはない。


京料理

京料理って何か。仕出屋の板前が作った和食だと私は思う。だから、折り詰め弁当、松華堂弁当、ちらしも、まあ京料理です、といえばそうじゃないのかな。それにしても京風弁当の高いこと不味いこと腹の立つこと!
懐石はたしかにすばらしい。一度に料理が出てこなければ。でもわれわれ貧乏人が外人を招待するには高すぎる。


豆腐料理

念のため断っておくと、京漬物とか京野菜とか和菓子とかは、「ザムと旅行」の「巻き寿司」に対抗できる「料理」ではないので、ここでは対象外。
さて、京都といえば「豆腐料理」が知られている。水が良いとかいう理由で豆腐もうまいのだろうか。京都市内の水道から出てくる水は琵琶湖の水であって、別にうまくもなんともない。限られた地下水だけがうまいのである。しかし、水がうまいといっても、ご飯のおかずになるわけでもなし、もともと無味無臭である。
豆腐はというと、しょせん豆腐である。われわれが口にする豆腐といえば、容量はあっても味も歯ごたえもないものであって、せいぜい熱いか冷たいか、味噌汁の中でぬるくなっているかという食感しか提供し得ないものである。仮にその豆腐がうまいとしても、それは大豆の味でしかない。調味料だってそんなに速く浸透していくわけでもない。
湯豆腐をありがたがって語る人もいるけれど、そんな豆腐を温めてポン酢で食べるのだから、高が知れている。
20年ほど前、南禅寺近辺の有名豆腐料理店に連れて行ってもらい湯豆腐を頂戴したが、腹が水っぽくなっただけだった。
いずれにしても私は、水や豆の違いを判別できるような、そんな微妙な舌は持ち合わせていないので、豆腐料理は外国人に「うまい」と勧められるような料理ではないのである。


湯葉料理

確かに湯葉ミリンダな食べ物で、私も好きな食べ物だ。初めて食べたときの食感・歯ごたえの面白さ、ほのかな味には感動した。職場の先輩に「湯葉のフルコースを食べに行かないか」と誘われたときには尻尾を千切れんばかりにくらげの傘を破れんばかりに伸縮させたものだ。
しかし、湯葉のおひたし茶碗一杯分、湯葉の吸い物、湯葉の大量刺身、湯葉のから揚げ、湯葉の天ぷら、とこれでもかこれでもかと湯葉ばかり続けて出されると、だんだん口の中が「黄な粉」のような後味に支配されていくのである。もちろん粉っぽくは無いのだが、とにかく大豆の後味である。しかも歯ごたえは全部同じで、弾力の単調さだけが歯ぐきとあごの筋肉に刻まれ残る。
「もう、食べなくてもいいね(湯葉のコースは)」
気合を入れて腹をすかせて狭い階段を登った湯葉屋の二階で、誰とも無くそう漏らしていた午後6時半であった。

付記:
そしてみんな、日のあるうちに自転車で散って帰った。
確かに腹は膨れていた。腹は膨れたが、湯葉とか何か一つの食材だけで腹が膨れるというのは苦痛なものだと思った。

回転寿司

京都市内は妙に「郊外化」が進んでおり、大型スーパーマーケットがどしどし進出している。またラーメンと並んで大型回転寿司店の戦場でもある。回転寿司は北陸やなんかのおいしい・新鮮なそれとはちがって、基本的に一皿100円というのが売りになっている。世界中に、どれだけすし屋が普及しているのか知らないが、「ザムと旅行」を読んで海苔や生魚を食する決意を持った外人を接待するには回転寿司屋は誰もが安心できるシステムの店かもしれない。


お好み焼

これから寒くなるから、外人を接待するに「鍋」なんかは自宅でやる分には安上がりで楽しくて日本的な気がするのだが、どうだろうか。
いろんな事情で自宅での接待ができない場合、お好み焼きなんかはどうだろうか。大阪と京都のお好み焼きで違いがあるかと言えば、そんなのはないし、店も多い。腹にたまるしそんなに高くない。具だって選べるし、小麦粉はもともと外国産。味はどうせ市販のソースの味である。なのに日本固有の味じゃぁありませんか? 魚系のダシが入っているからだろうか。
おしゃべりしながら焼けるし楽しそうナリ。
この間の夏はとてもじゃないがお好み焼きという気温ではなかったけれど、これからお好み焼きはいいんじゃないか。店も多いし。


答え

京都だからうまいもの。ないです。だから、外人の人には「極端に高額なもの以外でおいしいものは京都にはありません」と答えます。
(あったら教えてください。ラーメンとかはダメです。京都っぽくないから。)

konkludo

Tio, kio estas bongusta mangxajxo nur en propra al Kioto, estas nenio. Tial mi diros, "Krom ekstremega altkosta kuirajxo, bongusta mangxajxo estas neniom en Kioto. Tial ne timu !"

Tial ne maltrankviligxu !
やろか?