Persona sistemo de elektroproduktado per sunradioj (Fotovoltaiko) / 太陽光パネル


Antaŭ unu monato ni metis la sunradian panelon (elektroproduktilo de sunradioj; fotovoltaiko) sur nia doma tegmento.
La elektra mezuristo mezuris la kvantojn de produktado kaj de konsumado de elektro, kaj li (ŝi?) enpoŝtigis la informan bileton.
Laŭ la bileto ni konsumis elektron je 3000 enoj (pagu), kaj produktis je 12000 enoj (ricevu).


Tamen, la financon, kiun ni ricevos, ŝuldas ni mem en la elektropago de ĉiuj konsumantoj inkluzive de nehavanta fotovoltaikon.
Ĝenerale ju pli la sumo de elektroprodukto multiĝas, des pli la elektropago altiĝas. Tio signifas, ke nur tiuj, kiuj ne havas la panelon, multiĝas la pezon de la pago. Tio ne estas justa ŝuld-sistemo.



実は太陽光パネルをつけた。パネル設置後初めて計算書というかレシートみたいなやつが投函してあって、見てみると支払いが3000円くらい、売電による振込予定額が12000円くらいであった。



しかし、振り込まれる予定の売電の資金というのは、太陽光パネルを持っていない人も含めた一般の電力消費者であるのだ。(全額かどうかは知らんが)
一般的には、太陽光発電による電力会社の買取総額が増えれば増えるほど、全体の電気代も上がる。これは太陽光発電パネルを置いていない・置けない人にとってみれば、負担だけが重くなるわけで、公平なシステムとは思えない。

引用はしないが、結局「促進」の力を資金的に担うのは電力会社ではなく、政府でもなく一般の人々ということになっている。「付加金」の単価算出の計算式を見ると、わかりにくいが、考え方として原理的にそのようになっているようだ。それどころか、前年より次年の電力消費の総量が多ければ、電力会社が前年に太陽光発電から買った資金よりも多くの電気料金を回収できる。(逆もありだが。)
いずれにしても持たざるものが、より重い負担を担う。これは消費税と同じである。関西電力も、そして他の電力会社も政府が決めたことだから、と痛くもかゆくもありませんと一般家庭に負担を求めていると思われるのだが、危険な原発に費用をかけるのではなく、こうした安全・善意の発電にこそ費用をかけて促進してもらいたいものである。



太陽光発電の電力を直接自家消費することによって、支払い電気料金も下がった。もともと我が家にはクーラーなどの電気器具があまりないので、毎月の電気代は5000円を超えることはまれであったので、このような料金となっている。
 制度としては不満があるが、太陽光発電自体はもっと推進されるべきだし初期投資は大きいが、運が悪くなければ元も取れる。もっと太陽光発電が普及することは良いことだと思う。)