Al la insulo Sxikoku / la dua tago

朝食もバイキングである。子どもは申し訳程度の野菜をアリバイ・ノルマで食べると、スイーツばかり食べている。米も食べろというと、揚げたコメの団子を食べた、という。将来デブにならなければよいが。今日は叱ったりして委縮させたりすると、後味も悪いしツーリングに支障を来すので、何でも食べろと言い置く。


オレンジフェリーの港へ

今日はとにかく、出向するフェリー乗り場をまずは確認したい。先日のように迷走するのはごめんだ。
坂出あたりのインターから、伊予丹原まで休憩をはさみつつ移動。14万分の1では地図が小さくて見づらいのだが、東予港は難なく見つかった。
昼過ぎくらいの到着であった。実際にフェリーに乗るのは、20時以降の予定である。


しまなみ海道

東予港から国道196をほとんど一本道、途中で県道38、国道317とつないで今治北から自動車道に乗り、しまなみ海道デビューである。ただ自動車専用道なので、ゆっくり停まって橋から見物というわけにはいかぬ。

大島、伯方島とつないで大三島に上陸する。道の駅で、おみやげ物色し、ポンジュースのコロンを買う(家で食べて、けっこうおいしかった)。

大三島についてはほとんど何も勉強していなかったが、走っていると「立石展望台こっち」という看板があるので、行ってみた。ミカン畑の間を縫う狭隘で急峻な農道で、落ち葉や砂でまみれていて怖い。怖いながらも進む。後ろに積んでいる子どもは「帰りたい」と叫んでいる。
ようやく着いてみれば、展望楼閣もつくってあり、良い眺めだが、子どもは人けのなさに不気味さを感じて帰りたがっている。



そろそろと来た道を戻り、今度は「しまなみの駅・御島」と「大山祇神社」である。もう、子どもは疲れてほとんど何の興味も示さない。とにかくもう帰りたいらしい。
しかたがないので、島を北半分周って、自動車道で帰る。今治北の展望所からもう一度景色を見たり、鳥の鉄板焼きを食べたり、写真を撮ったり、だらだらして、東予港を目指す。


東予港へ

「今日の晩御飯は何?」
子どもは手詰まりになると次の食事の事ばかり尋ねる。とりあえずコンビニに寄って、船中で読む漫画やおにぎり・お菓子を仕入れる。
実は、しまなみ街道に向かうとき気になっていたラーメン屋があった。国道196号沿いで、「総合1位獲得!」という看板が出ていたのだ。子どもは昼にも道の駅でまずいラーメンをうまいうまいと食ったのだが、「夜もラーメンでいいか?」と訊けば、「いい」というので入店した。
りょう花というラーメン屋で、席に着いてから子どもが「さっき橋のところで鳥の鉄板焼き食べたので、あまりおなかがすいていない」と言い出して困ったが、店員氏が「ハーフサイズもあります」と言ってくれたので、「(あっさり)塩(半)」と「こってり塩」と餃子を注文。どれもうまかった。豚も厚くて良かった。





ラーメンで「外す」と、つまりラーメン屋に入って食したラーメンがまずいと、がっかり度が半端ではないので、この店は憶えておこうと思う。


船着き場で

午後7時に港到着。バラ色の小焼けの空が鈍色(にびいろ)に変わりつつあった。オレンジフェリーの乗船手続、支払は現金のみ。売店はとうに閉まっていて、待合室が二階にあるのだが、それに気づかず外で待つ(みんな外にいた)。蚊に食われるし売店は閉まっているし、食事してきて本当に良かった。
しばらくして自転車の女性の一行が到着する。彼女らはラーメン屋に行く前に追い抜いたし、ラーメン屋を出てからも追い抜いた人たちだ。みんな後から来た人たちは二階に上がるので、われわれも二階に上がると、ペカペカの薄っぺらな赤ベンチがたくさん置いてあって、部屋の隅、上方のテレビは「イッテQ」2時間スペサルをやっていた。子どもは大いに喜んで声を出して笑っていた。
8時を過ぎてから乗船開始。船内は陸の待合と違って、ホテルのような豪華さである。子どもは絵本で見たのとよく似ているので興奮して喜んでいるようだ。


船内にて就寝

大部屋の指定のマット。貴重品は身に着け、他の荷物は頭上の棚へ。片方の隣はぴっちり家族連れである。
ロビーでテレビを観たり、風呂に入ったりする。交代で子どもが後から風呂に入ったが、なかなか出てこない。いつもは烏の行水なのにどうしたのだろうか。ロビーのテレビはいつのまにか高齢者が演歌を観てやがる。しかも「受信料払え」の表示が消えない。
ようやく風呂から出てきた子どもは、中で人としゃべっていたという。社交的なやつだ。
22時出航。翌朝6時着なので、早く眠りたい。眠りたいのだが、隣の家族が子どもも大人もほぼ全員寝息といびきがすごくて、寝相も悪い。われわれのマットをずらして寝るのだが、あとからあとから人(デッキやロビーに居たらしい)が入ってきて、そんなに自由には移動できない。しまいに隣の父親は寝言を言い出す始末。
0時、2時、4時と目が覚めて、5時には起床してしまった。