"Politikaj aspektoj en la historio de la Esperanto-movado" / エスペラント運動の歴史における政治的な諸相

表記について、エスペランティストの組織についての言及はほとんどないものの、興味深い論文があったので紹介する。単語も平易であり、読み易い。

Javier Alcalde:
Politikaj aspektoj en la historio de la Esperanto-movado - HAL-SHS - Sciences de l'Homme et de la Société

Javier Alcaldeは、1978年、バルセロナ生まれの若手の政治学者であり、2018年に行われた第103回世界エスペラント大会(リスボン)の大会テーマの決定に関わった。彼の論文「平和への努力 -エスペラントの実践的国際主義」は、フェミニズムキリスト教エキュメニズム、兵役拒否などの運動とエスペラントとの密接な関わりを論じて深い感銘を与える。彼は論文の結びで、大戦はエスペラントの理念に大きな打撃を与えたが、その後の戦間期には、国際連盟やプロレタリア運動などで新たな隆盛をもたらしたと指摘している。
(名古屋エスペラントセンターのエスペラントの本と批評のページの伊藤俊彦「読書日記2015〜」の「14. Antaŭ unu jarcento」より)

http://nagoya-esperanto.a.la9.jp/recenzo/ito/ito_28.pdf

以下、ChatGPTも使っての要約。

■はじめに

エスペラントが単なる言語プロジェクト以上の存在となり、社会運動や政治的活動に深く結びついていった経緯。JAVIER ALCALDE 氏は、エスペラント創始者ザメンホフの死後も生き続けた理由として、その言語が価値自由ではなく倫理的価値を持ち、支持者が分裂や迫害を乗り越える助けとなったことを挙げている。ザメンホフの人道的・平和主義的な姿勢がエスペラント支持者の社会運動に影響を与え、結果としてエスペラントは単なる国際的な言語にとどまらず、政治的にも重要な役割を果たすようになった。
その後、この記事では以下の5つのテーマが取り上げられている:

最終的に、著者はエスペラントとその支持者の政治的側面を評価し、その重要性を認識すべきだと主張している。


プロレタリアートの共通語

この一節では、エスペラントがプロレタリア運動と結びついた背景が説明されている。エスペラントは、労働者が国境や言語の壁を越えて連携する手段として重要視され、特にSennacieca Asocio Tutmonda(SAT)のような団体がその普及に貢献した。Zamenhof はエスペラントの未来を労働運動に関連付け(1909年の第5回エスペラント大会)、戦争や全体主義政権の中でその役割が強調された。


■危険な言語

ウルリヒ・リンスの研究によると、ヒトラースターリンエスペランティストを「危険な人々」として排除しようとし、エスペラントが自由な思想を伝えることを恐れた。エスペラント運動は特定のイデオロギーに依存せず、自由や平和主義の価値観と結びついており、これが全体主義政権のナショナリズムと対立する。しかし、エスペランティストの中には、政権を支持する者もおり、自由が抑圧される状況下で苦しんだ例が多く見られる。


■スペイン内戦におけるエスペラント

1936年7月、スペインの軍部が合法的な共和国政府とその左派連立政府に対して反乱を起こした。反乱は一部地域で市民の抵抗により失敗し、これが三年間続いた内戦へと発展した。反乱軍が1939年に勝利すると、スペインにはファシスト独裁が40年間続くこととなった。この戦争におけるエスペラント運動の役割は、その政治的なニュアンスを反映していた。エスペラントの活動家は、右派と左派に分かれて戦ったが、左派側でのエスペラントの使用は広範囲であった。特に、共和国側ではエスペラントが宣伝や情報提供のために積極的に利用され、国際的な義勇兵アナキスト共産主義者によっても使用された。カタルーニャでは、カタルーニャ政府がエスペラントを利用してプロパガンダ活動を行い、さらには「前進」カラムというエスペラントを使った義勇兵組織の設立が計画されるなどしたが、実現には至らなかった。エスペラントはまた、戦後には多くの活動家が亡命し、ファシスト政権下で厳しい弾圧を受けた。しかし、エスペラントは共和国側で広く浸透しており、特にカタルーニャではエスペラントが反ファシズムの運動と深く結びついていた。


■平和主義的アプローチ

この節では、エスペラントと平和主義の関係について述べられている。ザメンホフの時代、エスペラントは平和的な手段として認識され、平和主義者たちはエスペラントを非暴力的な思想と行動の道具として捉えていた。エスペラント運動の多くの支持者は、より公正で平和な世界を実現するためにこの言語を学ぶことを選んだ。ザメンホフ自身も、エスペラントが民族間の争いを解決するための有力な手段であると信じ、その潜在能力を強調していた。平和主義的立場を取ったエスペラント支持者には、宗教的、女性的、科学的、反戦的、労働者階級の国際主義的な背景を持つ人物が多く、エミール・ペルティエやアルフレッド・フリードなどがその代表例である。また、ユネスコエスペラントが世界の理解と平和的な社会の実現に貢献していることを認めており、エスペラントは歴史的に平和活動においても実際的な役割を果たしてきた。最終的に、この節はエスペラント運動の平和主義的アプローチが個々の行動にどのように影響を与えるかについての考察に繋がる。
ここに名前が挙げられている人々は次の通り



エスペラント運動の歴史における政治的側面

エスペラント運動の歴史には、倫理的な行為を行った多くの人物が関与している。

ドメネク・マサックス (1891-1965)
アリス・ヘルツ (アリス・ハーズ)(1882-1965)

エスペラントの記事なし)

ヴァルデマール・ラングレット (1872-1960)
プレミスル・ピッター (1895-1976)
フランシス・シーヒー・スケッフィントン (1878-1916)

ウィリアム・ピケンズ (1881-1954)


彼らは人道主義的信念のもとで人生の一部を犠牲にし、その中でエスペラントが重要な役割を果たした可能性がある。



■結論(試訳)

 エスペラントは言語であるが、単にそれだけではない。エスペラントはその支持者によって創出された社会運動の中で主要な役割を果たしてもいる。こうした運動は、ザメンホフ的な倫理によってインスピレーションをもたらされた政治的な意味を有するものである。事実、エスペラント自体が本質的に政治的である。この観点からすると、まじめにエスペラント運動の研究をする専門家たちは必ず、その政治的な側面を分析に含めるようにしなければならない。逆にそうでなければ、そうした研究というのは少なくとも不完全で、たぶん出来損ないのままであるであろう。
 見てきたように、労働者階級の運動や、平和主義、反ファシズム人道主義などの潮流の中でエスペランティストたちはしばしばより公正で別け隔てのない世界のために活動してきた。またそのために彼らは迫害された。今日の(エスペラントの?)プロパガンダは、エスペラントの利点や虚しさについてのプラグマテックな考えに基づくことを好んでいようだが、しかし、エスペランティストが社会運動に献身してきた、というこはエスペラント運動の核心的なポイントであり、したがって活動家もこれを強調すべきである。
 エスペラントはなるほど、そのコミュニティーに結びついていて、そこでは多くのエスペランティストとつながってエスペラントな生活が可能ではある。だが、インターネット時代にあっても、それだけでは十分ではない。現在、エスペラント語を学ぶ者の数は増加しているにもかかわらず、エスペラントの諸団体にはそれほど多くは集まってきていない。Duolingo のような新しい学習方法の注意すべきな弱点は、もしかするとエスペラントの政治的側面を十分に重視していない点にあるのかもしれない。エスペラントの政治的側面は、言語学習者がより自覚的な段階に移行し、それゆえ社会的な運動の活動者になるのに役立ちうる要素である。この記事では、私はいくつかの歴史的事実を説明および分析したが、いくつかの疑問も意図的に提示しておいた。私は、これらのテーマに関するさらなる議論と研究の必要性と歓迎を示すためにこれを行ったのである。読者各位の闊達な議論を期待する。

https://shs.hal.science/hal-02801074v1