朝比賀氏の書いたエスペラント史を拾い読みしているが、たいていプロレタリアエスペラント運動の陣営については、「だれが始めた」「次々と検挙された」「壊滅してしまった」で終わっている印象がある。対照的に長谷川テルや斎藤秀一は称揚の対象になっている。
しかし、1986年9月号のLa Revuo Orienta 誌に寄せた「プロレタリアエスペラント運動の闘士 岡 一太さんを悼む」の最後には次のようにあるのを見つけた。
プロエスの同志たちがエスペラントによる不屈の闘いを日本帝国主義に対して挑んだのは、長谷川テルがそうであったと同様に、彼らがザメンホフの精神を継ぐ正統の子であったからであろう。政治的偏向や闘争手段の拙劣さによって日本のプロエス運動はあえなく消え去ったが、帝国主義の巨大な歯車に果敢に立ちむかった抵抗の記録こそ私たちのエスペランティストの誇りでなければならぬとおもう。
「政治的偏向や闘争手段の拙劣さ」というのが「プロレタリア」なのか、それとも当時のプロエスの人たちの党派性がそうだというのか、あるいは共産党という組織を昔も今も嫌っているということか、わからないけれども、それなりの敬意を持っているということはわかったので記しておこう。
もうひとつ追記すれば当時の自由や民主主義の弾圧、国家暴力的な治安諸法、労働者・女性の無権利状態に対抗するに、「労働者」(プロレタリア)の立場に立たずに「政治的偏向」をまぬかれる「拙劣」でないような闘い方は、どういうものがあったのか、尋ねてみたい気もする。